二番目の国旗『Stainless Banner』
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「アメリカ連合国の国旗」の記事における「二番目の国旗『Stainless Banner』」の解説
連合国は星条旗との混同を避けるため、1863年5月1日より、国旗を『ステインレス・バナー』(染みのない旗)と呼ばれる旗に変更した。縦横比は1:2。明らかな変更点は、南軍旗(後述)のデザインを左上に持って来て連合国旗であることを強調したことである。新たな国旗の制定に当たり、ほとんどの案が、当時よく知られ人気もあった南軍旗をあしらっていた。この中から、ジョージア州サバンナの新聞編集者で作家だったウィリアム・T・トンプソンの案が選ばれた。 「ステインレス」(染みのない、潔白の)というニックネームは、旗の大半を占める白い地に由来する。後の国旗法ではこの白い地に対して特に意味を説明しなかったため様々な解釈が生まれ、「南部人の一点の汚れも無い美徳と誇り、北部の圧制と侵略に対する独立への闘志」を意味するともされている。しかしトンプソンの最初の意図は、白は白人の白であり、「神が定めた、有色人に対する白人の優位を守るために戦う人民にとって、白い旗こそが戦う理由をもっともよく象徴してくれる」というものだった。 議会で、この白い部分を赤で縁取るのがいいか、青い線を入れるのがいいかという議論が出た際、トンプソンは、白地に何かを足すことはデザインの意図に妥協を加えるものであり反対すると述べている。ウィリアム・ポーチャー・マイルズも、国旗は派手で分かりやすい方がいいので南軍旗のデザインは入れるべきであろうが、同時に国旗は可能な限り簡明であるべきであるとして、トンプソンの白い旗の案を支持した。自分の案が国旗に選ばれると、トンプソンは自分の新聞で、「この旗は、我々の戦う理由である『優秀な人種と高度な文明が、無知や野蛮と戦う』ということをよく表している。同時に、今や悪名高いヤンキーの野蛮人の旗とまったく似ていないことも利点である」と自賛する記事を掲載している。 この旗の初使用は、トマス・J「ストーンウォール」ジャクソン将軍の葬儀の際に棺を覆う旗だったために、「ストーンウォール・ジャクソンの旗」とも呼ばれる。 しかしこれにも欠点があった。戦場の泥で汚れやすいうえに、戦場に風が吹いていない場合、旗が垂れ下がると南軍旗部分が隠されて白い部分が多くなりすぎるこのデザインは、降伏の白旗とよく見間違えられたのである。当初は好意的に迎えられたこの国旗も、主に軍人たちから「白すぎる」という批判が上がるようになった。
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