主な航空事故とテロ事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 03:08 UTC 版)
「パンアメリカン航空」の記事における「主な航空事故とテロ事件」の解説
パンアメリカン航空526便不時着水事故 1952年4月11日、526便(ダグラスDC-4)が、プエルトリコのサンフアンを離陸後、エンジントラブルのため引き返す途中に、海上に不時着水の後、水没。69人中52名死亡。 パンアメリカン航空202便墜落事故 1952年4月29日、202便(ボーイング377)が、プロペラの設計ミスでブラジル北部を飛行中に空中分解を起こし、墜落。50人死亡。 パンアメリカン航空006便不時着水事故 1956年10月16日、006便(ボーイング377)が、太平洋に不時着水した事故。不時着水から救助までの一部始終が映像に残ったことで知られている。 パンアメリカン航空007便失踪事故 1957年11月8日、007便(ボーイング377)が、サンフランシスコからホノルルへ飛行中に失踪。後に機体の残骸と乗客の遺体が漂流しているのが発見された。状況から緊急着水を試みたとされるが、事故原因は判明しなかった。44人死亡。 パンアメリカン航空214便墜落事故 1963年12月8日、214便(ボーイング707)が、飛行中に落雷によりメリーランド州に墜落。 パンアメリカン航空292便墜落事故 1965年9月17日、292便(ボーイング707)が、着陸進入中にチャンスピーク(英語版)に墜落。30人死亡。 パンアメリカン航空708便墜落事故 1966年11月15日、708便(ボーイング727)が、着陸進入中にソ連統治下の東ドイツ地域に墜落。3人死亡。 パンアメリカン航空217便墜落事故 1968年12月12日、217便(ボーイング707)が、ベネズエラ・カラカスへ着陸進入中にカリブ海に墜落。51人死亡。 パンアメリカン航空799便墜落事故(英語版) PFLP旅客機同時ハイジャック事件 1970年9月6日、93便(ボーイング747)が、PFLPによりヨーロッパからアメリカに向かっていた他の航空会社の旅客機と同時にハイジャックされたものの、目的地のヨルダンのドーソン基地に着陸できずエジプトのカイロ国際空港に向かい、犯人グループが現地警察に投降し無事解決した。 パンアメリカン航空845便離陸衝突事故 1971年7月30日、845便(ボーイング747)が、途中経由地のサンフランシスコ国際空港での離陸時に発生した事故。死者なし。 パンアメリカン航空816便墜落事故 1973年7月22日、816便(ボーイング707)が、タヒチ・パペーテから離陸直後に太平洋に墜落。71人死亡。 パンアメリカン航空160便墜落事故 1973年11月3日、160便(ボーイング707)が、ローガン国際空港手前に墜落。3人死亡。 パンアメリカン航空812便墜落事故 1974年4月22日、812便(ボーイング707)が、着陸進入の準備中に山岳地帯に墜落。107人死亡。 テネリフェ空港ジャンボ機衝突事故 1977年3月27日、1736便(ボーイング747)とKLMオランダ航空 4805便(ボーイング747)が、スペイン領カナリア諸島のテネリフェ島にあるテネリフェ空港で離陸滑走中に衝突。583名死亡。死者数史上最多の航空事故。 パンアメリカン航空759便墜落事故 1982年7月9日、759便(ボーイング727)が、ニューオーリンズ国際空港を離陸直後に墜落。153人死亡。 パンアメリカン航空830便爆破事件 1982年8月11日、830便(ボーイング747)において、仕掛けられた爆弾が爆発。墜落は免れたものの、日本人の少年1人が死亡。 パンアメリカン航空73便ハイジャック事件 1986年9月5日、パキスタン・カラチの空港で73便がパレスチナ人テロリスト、アブ・ニダルらのグループによってハイジャックされ、同国軍部隊との銃撃戦などにより、乗客・乗員22人が死亡。 パンアメリカン航空103便爆破事件 1988年12月21日、103便(ボーイング747)が、イギリス・スコットランド上空において、リビアのテロリストによって仕掛けられた爆弾の爆発で空中分解したうえ墜落し、乗客259人と墜落現場の住民11人の計270人が死亡。
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