中部配電への設備出資
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 10:03 UTC 版)
「静岡市営電気供給事業」の記事における「中部配電への設備出資」の解説
中部配電の設立命令において、静岡市は「電気供給事業設備を出資すべき者」に指定され、芝川筋の発電所4か所と送電線5路線、変電所3か所、それに中部配電の配電区域内(静岡・長野・愛知・岐阜・三重の5県)にある配電設備・需要者屋内設備・営業設備の一切を中部配電へと出資するよう命ぜられた。1941年9月、中部配電設立命令の受命者11事業者によって中部配電設立委員会が立ち上げられると静岡市からは当時の市長稲森誠次が委員に就任する。以後設立事務が進められ、統合財産の評価額などが決定された。静岡市が出資する財産に関しては、その評価額は1518万2000円と決定され、その対価として中部配電の額面50円払込済み株式30万3640株(払込総額1518万2000円)が市に交付されることとなった。出資財産の簿価は787万7781円であったため、2倍近い評価益が生じている計算になる。翌1942年(昭和17年)1月12日、設立委員会が作成した中部配電設立に関する事項が静岡市会で承認された。 1942年4月1日、中部配電を含む地区別配電会社9社が一斉に発足、中部配電への設備出資を完了した静岡市営電気供給事業は消滅した。31年間にわたる供給事業経営の中で、電気事業会計から他の会計に繰り出された益金の合計額は964万7020円に上る。これらの資金は上水道・下水道の敷設、都市計画事業費、道路整備費、学校整備費、市庁舎・公会堂建設費、病院・市営住宅・公園など社会施設建設費、静岡大火の災害復旧費などさまざまな用途に転用された。中部配電設立に伴い、最後の市電気部長である中川銀三郎が同社の理事(取締役に相当)に転ずる。また設備出資の対価として交付された中部配電株式30万3640株をそのまま保持したため、静岡市は同社の筆頭株主の地位にあった。 配電会社の設立に際し、東京電灯がそのまま関東配電に合流したため静岡県内の東京電灯区域も関東地方の配電会社である関東配電に引き継がれていたが、半年後の1942年10月1日付で富士川を境界とする配電区域の整理が実施されて富士川以西が中部配電区域、以東が関東配電区域という区割りが確定された。区域整理に伴い発電所も一部が関東配電から中部配電に譲渡されているが、その反対はなく、元静岡市営の芝川筋発電所4か所は富士川の東側(富士郡)にあるものの中部配電に留まった。こうした区域整理以外にも中部配電では配電区域内に残る小規模配電事業の統合を推進しており、静岡市周辺では1943年3月1日付で静岡電気鉄道・大河内電灯・梅ヶ島電業所、4月1日付で玉川水電信用販売購買利用組合の配電事業がそれぞれ統合されている。
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