世界東アジアとは? わかりやすく解説

世界・東アジア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 06:48 UTC 版)

義和団の乱」の記事における「世界・東アジア」の解説

1. 日露の対立激化と日英同盟の締結 義和団の乱鎮圧のために各国それぞれ出兵したが、その中で日本とロシア対立顕在化ていった。特にロシア帝国軍満洲占領モラル欠いた軍事行動は、各国多大な懸念与えとともに日本朝鮮における自国権益脅かされるのではという危機感与えるのに十分であったイギリス中国における自国利権を守るために日本期待を示すようになり、光栄ある孤立捨て1902年日英同盟締結する至った。これには日本軍賞賛したモリソン後押しもあった。 2. 領土割譲要求の沈静化 日清戦争以降清朝は「瓜分」(中国分割)の最大危機さらされていたが、義和団の乱によって勢い歯止めかけられた。戦闘において圧倒的な強さ示した連合軍であったが、その後占領地支配には手を焼き中国領土支配困難さ嫌でも気づかざるを得なかった。列強その時思い連合軍司令官ヴァルダーゼーの「列強力を合わせたとしても、中国人4分の1でも治めるのは困難であろうということばに言い尽くされている。ただ例外的に領土支配目指した国があった。ロシア日本である。ロシア満州占領日露戦争導き、さらに辛うじてその勝者となった日本は一層の領土的野心を滾らせ、日中戦争へと邁進していくようになる一方キリスト教会側も義和団以降反感を買いやすかった傲岸態度改めようになった。むしろこれまで積極的に関与していた裁判について自粛するようになり、次第教案減少していった。 3.大逆事件の伏線の可能性 一見すると無関係のようであるが、幸徳事件1910年)の遠因義和団の乱の際に起きた馬蹄銀事件求め研究がある。馬蹄銀事件とは、清国馬蹄銀という銀塊を、派遣部隊横領した事件である。すなわち日本軍自軍綱紀正しかったことを内外喧伝したが、実際はそうではなかったことを『万朝報』の記者幸徳秋水らが厳しく追及した。それが馬蹄銀事件である。この一連の記事によって、幸徳秋水らは山縣有朋恨みを買い、それが幸徳自身処刑という厳し処置課される原因となったという説がある(小林1986年出版)。

※この「世界・東アジア」の解説は、「義和団の乱」の解説の一部です。
「世界・東アジア」を含む「義和団の乱」の記事については、「義和団の乱」の概要を参照ください。

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