三重県立明野高等学校
三重県勧業試験場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/22 01:34 UTC 版)
「三重県立明野高等学校」の記事における「三重県勧業試験場」の解説
明野高校の前身となる施設で明野原(明野ヶ原とも)開拓の拠点として創設された。当初は士族授産を目的としていたが、予定よりも応募が少なかったため、名称を明野勧農場に変更した上で県の模範農場として運営されることとなった。 明野勧農場の主な業務は三重県一円に養蚕と畜産を普及させることとその技術の開発であった。養蚕では3町2歩の敷地に桑を植栽し、その改良を進めた。畜産では1882年(明治15年)に岩手県から農馬25頭を、さらに1893年(明治26年)には名古屋洋牛舎から「ブラウンスヰス種」の牛2頭を購入、同年農商務省から「デヴォン種」の牛1頭を借り受けたが、実際には員弁郡及び伊賀山田郡の農家に貸し出すことで勧業を図った。この結果県内各地に近代畜産業が普及し、勧業試験場はそのさきがけとなった。
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