一塁へのコンバート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 00:21 UTC 版)
2015年は捕手から一塁手にコンバートされ、開幕から一塁手で出場したが、相川亮二が離脱したこともあり、急遽4月3日の阪神戦で捕手に復帰した。これを記念し4月15日に、「I'm back! Tシャツ」が発売された。4月18日、右太腿裏の肉離れで登録抹消された。7月1日の広島戦で通算350本塁打を達成した。しかし自主トレからハイペースで猛練習した影響で、開幕前に疲労が蓄積し、その結果、シーズンを通して何度も離脱を繰り返し、結局111試合の出場で打率.242、15本塁打、47打点の成績に終わった。CSのファイナルシリーズでは打率.688を記録。推定年俸は選手の減額制限である40%近くの36%(1億8400万円)ダウンを受け入れ、3億2600万円でサインした。巨人としては球団史上では金額面で過去2番目、12球団でも4番目となる下げ幅だった。 2016年は当時の監督である高橋由伸の方針で再び捕手登録に戻ったが、オープン戦で肩に違和感を覚えて登録抹消され、開幕二軍で迎えた。5月31日のオリックス戦で一軍復帰し、本塁打を打った。さらに、7月8日のDeNA戦から8月10日のDeNA戦まで23試合連続安打を記録し、自己最長連続安打となった。最終的に91試合の出場で規定打席到達はならなかったが、打率.310、12本塁打、52打点を記録し、4番として随所で活躍を見せた。だが一塁手または指名打者としての出場となり、プロ入り後、初めて捕手での出場が0のシーズンとなった。推定年俸は6600万円ダウンの2億6000万円となった。 2017年は再び内野手登録となった。3月31日の中日との開幕戦で大野雄大から本塁打を打ち、自身初のシーズン初打席での本塁打を記録し、4月1日の中日戦でも田島慎二から逆転サヨナラ3ランを打った。6月18日のロッテ戦で佐々木千隼から本塁打を打ち、通算382本塁打として原辰徳に並んだ。さらに第2打席で2打席連続本塁打を記録して通算383本塁打となり、原を抜いて球団歴代単独3位となった。8月13日の広島戦で今村猛から安打を打ち、NPB史上49人目の通算2,000安打を達成した。巨人の生え抜きでは1980年の柴田勲以来37年ぶり5人目、また21世紀以降の巨人のドラフト指名選手では初の快挙であった。3年ぶり、内野手登録となってからは初めて規定打席に到達し、打率は.262と振るわなかったものの内野手転向後では最多の129試合の出場で17年連続2桁本塁打となる15本塁打・76打点を記録した。 2018年は岡本和真の飛躍によりレギュラーを奪われ、怪我以外の理由では初めて開幕スタメンを外れた。その後は主に代打での出場が続いたが出場機会に恵まれず、初安打は4月29日と遅れた。それでも随所での活躍が光り、10月1日のヤクルト戦では10号本塁打を打った。これで入団1年目から18年連続での2桁本塁打となり、清原和博、張本勲に次ぎ歴代3位となった。岡本の台頭によってスタメン出場は少なかったものの、1年を通して大きな怪我もなく、一度も登録を抹消されず最終的に95試合に出場。打率.247、11本塁打、46打点を記録した。
※この「一塁へのコンバート」の解説は、「阿部慎之助」の解説の一部です。
「一塁へのコンバート」を含む「阿部慎之助」の記事については、「阿部慎之助」の概要を参照ください。
- 一塁へのコンバートのページへのリンク