一塁への盗塁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 03:27 UTC 版)
「ジャーマニー・シェーファー」の記事における「一塁への盗塁」の解説
1908年、チームはアメリカンリーグ2連覇を遂げ、シェーファー自身も俊足を発揮し40盗塁を記録した。これはこの年のリーグ3位の成績だった。この40盗塁の中には「一塁への盗塁」がカウントされていると考えられている。チームメイトのデービー・ジョーンズは、シェーファーは試合で「一塁に盗塁したただ一人の男」と回想している。ただ他の記録を見ると、一塁への逆走盗塁を試みた例はいくつかあり、1902年8月13日にアスレチックスのハリー・デービスが、また1908年7月31日にフレッド・テニーがこれを試みている記録がある。 ジョーンズの回想に基づけば、シェーファーが一塁への盗塁を見せたのは1908年頃の対インディアンス戦と見られる。この試合の9回、三塁にジョーンズが、シェーファーが一塁に出塁する場面が来た。タイガースはダブルスチールを試み(捕手が二塁に送球し、その間に三塁走者が本塁を陥れる作戦だった)たが、インディアンスの捕手ニグ・クラークは二塁へ送球せず、結果シェーファーだけが二塁に進塁した。すると次の投球で、シェーファーは二塁から一塁へ逆走し、更に次の投球でもう一度二塁へ進塁したという。ただこの回想は、実際のどの試合のことを指していたのかが特定できていない。 翌1909年もタイガースは好調で、シェーファー自身もデトロイトで高い人気を得ていたのだが、同年8月にジム・デラハンティと交換トレードでワシントン・セネタース(現:ミネソタ・ツインズ)に移籍する。
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