ヴェネツィアの潟の特性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 01:19 UTC 版)
「アックア・アルタ」の記事における「ヴェネツィアの潟の特性」の解説
ヴェネツィアの潟の独特の形状、沿岸で発生している地盤沈下、そして沿岸都市の独特な町並みなどの要因が住人や建物への高潮の影響を強めている。 さらに、ボーラやシロッコなどの風が、北の山地や外洋からヴェネツィアの潟とアドリア海の境目の湾に向かって吹いている。この風は潟からアドリア海への水の流出を減退させる(もしくは完全にせき止める)効果がある。これにより潟内の水量の減少は抑制され、そこに満潮が重なると異常に潮位が跳ね上がるのである。 ヴェネツィア付近のポルト・マルゲーラ(英語)地方で産業の発達が見られるようになると、高潮による影響を増幅させる理由が少なくとも2つ、新たに生じてきた。 1つめは、この地域には、海抜の極端に低い小さな島が多かったこと。これらの島々は『バレネ (barene)』(イタリア語で砂州の意)と呼ばれ、潮が押し寄せてきた際に余分な水分を吸収する、『天然のスポンジ』(または『拡張タンク』)のような性質がある。 2つめに、石油タンカーが航行できるような専用航路を水底を彫って切り開いたことである。この『石油航路』は海岸線に沿って造られ、マラモッコ港を起点として潟内を横切るようになっている。明らかに自然のものではない海と潟の接続が造られたことで、満潮時にはさらに多くの海水が都市へと流れ込むようになった。 ポルトマルゲーラの地形およびそこに造られた建物は、高潮に対してあまり考慮されていないつくりであった。ヴェネツィア市の研究は、このままだと将来的にはアックア・アルタにより町が取り返しのつかないほどの損害を被るだろうとの見方を示すと同時に、それを回避する手段として以下のような提案を行ってきた。 ヴェネツィアと本土を結ぶ鉄道橋の建設。橋の支柱により水流のコントロールが可能となるため。(1841年-1846年) ブレンタ川をキオッジャ郊外へと誘導する治水工事。この地域にある2.63ヘクタールの三角州が高潮の際に水を吸収する『拡張タンク』の役割を果たすため。 沖合いでの防護壁建設。水流を劇的に制限できるため。(マラモッコ港1820年-1872年、サン・ニコロ港1884年-1897年、キオッジャ港1911年-1933年) ヴェネツィアと本土を結ぶリベルタ橋の建設。(1931年-1933年) リーヴァ・デッリ・スキアヴォーニ (Riva degli Schiavoni) を延長し、リーヴァ・デイ・セッテ・マルティーリ (Riva dei Sette Martiri) の建設。(1936年-1941年) 大型の駐車場やバスターミナルとして機能する人工島、トロンケット島の建造。(面積17ヘクタール、1957年-1961年) 鉄道橋の本数の倍増。(1977年)
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