水量の減少
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 14:04 UTC 版)
祁連山脈の雪解け水を源流とし、張掖市など河西回廊にある諸都市の主要な水源であるが、過去に比べて水量は減少傾向にあり、1992年の流量は1.83億m3であった。 西夏時代には水量が非常に豊かであったことが遺跡からの出土文書により読み取れるが、早くも元時代になると当地は水が少ないという記述が増加する。水源の氷河をボーリングした調査結果によれば、当時この地域で急速な寒冷化が進み、上流の祁連山脈の氷河の溶ける量が減り、川へ供給される水量が減ったことが判明している。一方でこの時代に上流域での灌漑農業が発達し、それらの結果下流へ流れる水量も減ったものと推測されている。エチナ川の中流域にはダムや堰が120か所以上あり、水路が網の目のように張り巡らされ、豊かな穀倉地帯となっているものの、大半の水がこの付近で消費されるために下流の水不足が深刻である。 1927年にスウェン・ヘディンが率いる西北科学考査団が当地を探検した際には、水量が比較的少ない季節にも関わらず、毎秒20トンの流量があり、渡河に苦労した様子が記録されており、両岸に木々が繁茂している映像も残されている。しかし以降は砂漠域での水不足により、1961年にはガシュン・ノールが、1992年にはソゴ・ノールも干上がってしまった。現在では上流から水が放流される冬の一時期のみ川が流れ、その他の時期には河床が干上がる状態で、かつて隆盛を誇ったコトカケヤナギ(胡楊)も細々と残るのみである。 この水不足の解消のため、中国政府によりエチナ川中流域での取水制限と、上流域での放牧の制限や、牧民を移住させて農業に転業させたり畜舎での牧畜に転換させる「生態移民政策」が行われている。この移民政策には、北京での砂嵐の被害が激化したため、元凶となるエチナ川付近の砂漠化を防止する目的も指摘される。その結果、2003年にはソゴ・ノールに水が戻ったが、取水制限を補う目的や転業者が新たに使う水を確保するため地下水の汲み上げが激増し、もともと河川水の減少により低下傾向にあった地下水位の更なる低下に拍車がかかっている。
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