ヴェネツィアによる統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 07:59 UTC 版)
「イオニア諸島」の記事における「ヴェネツィアによる統治」の解説
ヴェネツィア共和国は1204年のケルキラ島取得以来しだいに影響力を増し、イオニア諸島全域がヴェネツィアの支配下に入るようになった (Venetian Ionian Islands) 。 15世紀になると、オスマン帝国がギリシャのほぼすべての領域を支配下に置いたが、イオニア諸島はヴェネツィアのためにキリスト教側の領域にとどまった。ザキントス島は1482年に、ケファロニア島およびイタキ島は1483年に、レフカダ島は1502年に、ヴェネツィア領となった。なお、キティラ島は1393年からヴェネツィア領である。 イオニア諸島は、ギリシャ語が話される世界で唯一オスマン帝国の支配を免れた地域となり、ギリシャ史において重要な地位を占めることとなった。ケルキラ島はギリシャ世界においてオスマン帝国による征服を一度も受けたことのない唯一の地域である。 ヴェネツィアの支配が始まる頃には、諸島の上流階級はイタリア語(あるいはヴェネツィア語)も話すようになり、ローマ・カトリックに改宗していたが、下流階層の人々はギリシャ語を話し、ギリシャ正教を信仰していた。 18世紀、ギリシャ独立運動が盛んになると、オスマン帝国の支配下になかったイオニア諸島にはギリシャの亡命知識人や革命家、外国人支援者が集まるようになり、おのずとその拠点となっていった。ロマン主義的なナショナリズムが横溢していた19世紀、イオニア諸島は過剰なほどに「ギリシャ」という意識を持つようになっていった。
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