ヴェネツィアとの契約とは? わかりやすく解説

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ヴェネツィアとの契約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 08:23 UTC 版)

エルナーニ」の記事における「ヴェネツィアとの契約」の解説

前々作『ナブッコ』(初演1842年)、前作十字軍のロンバルディア人』(同1843年)のミラノ・スカラ座初演成功ヴェルディ新進気鋭オペラ作曲家としての評価急速に高まりつつあった。ロッシーニ作曲から引退ベッリーニ1835年早世ドニゼッティ主としてパリウィーン拠点活動しており、ちょうどこの時イタリア新たなオペラ作曲家渇望していたという事情もある。 ヴェルディはこの好機活かして大飛躍企てるこれまで4作は全てスカラ座での初演であり、多く同座支配人興行師といった方がより的確)、バルトロメオ・メレッリに与えられ台本唯々諾々と曲を付けているだけだった。メレッリはまた、金銭的に作曲家にとって渋いことでも有名だったヴェルディは、作曲面でも金銭面でもより有利な条件追求すべく、今回は他の歌劇場からの委嘱を受ける決心だった。 この機を逃さずヴェルディ接近してきたのは、イタリア半島北部におけるスカラ座最大ライヴァル、ヴェネツィア・フェニーチェ劇場支配人、ナンニ・モチェニーゴ侯爵だった。条件は、1843年-44年のカーニヴァル・シーズンに2作を上演すること、うち1作はヴェネツィアにとっての初演最終的には『イ・ロンバルディ』を上演した)、もう1作は完全なる新作であること、となっていた。ヴェルディ1843年6月頃この条件受諾したヴェルディから提示した主な条件は、 新作の上演料としてヴェルディ12,000オーストリア・リラを受領するの上演料は初演終了時までに全額支払われる 新作題材は、ヴェルディ決定権がある 台本作家人選ヴェルディ決定権があり、またその対価劇場でなくヴェルディ支払歌手人選についても、フェニーチェ劇場と同シーズン契約した歌手陣の中からヴェルディ選定する。 というものであり、モチェニーゴはそれらをすべて受け入れたこのうち1.については、前々作『ナブッコ』でヴェルディ受領したのは4,000リラ、『イ・ロンバルディ』で8,000リラ(ともにメレッリのスカラ座より)であることを考えれば、その出世振りうかがえよう。2.に関して若干解説が必要である。当時のイタリア・オペラ興行での慣習では、新作オペラ場合上演料は分割払いで、うち相当程度第3回公演終了後に支払われることになっていた。つまり新作失敗終わり3回上の公演完了しなかった場合には作曲者当初契約より少な金額しか受け取ることができなかった。ヴェルディ実際大失敗終わり、たった1夜しか上演がなされなかった『一日だけの王様』(1840年)でそうした憂き目遭っている。この条件挿入は、ヴェルディ自信現れとみることができよう

※この「ヴェネツィアとの契約」の解説は、「エルナーニ」の解説の一部です。
「ヴェネツィアとの契約」を含む「エルナーニ」の記事については、「エルナーニ」の概要を参照ください。

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