ヴェネツィアからガリポリへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 14:36 UTC 版)
「サヴォイア十字軍」の記事における「ヴェネツィアからガリポリへ」の解説
艦隊はプーラ、ラグーサ、ケルキラ島に寄りながらダルマチア沿岸部を航行して、最終的にはヴェネツィア支配下のコロニ(英語版)に着いた。同地にてアメデーオ6世はブルボン公ルイ1世の娘で自身の妃ボンヌの叔母であるマリー (fr) が、自身が保有するピロス城 (en) にターラント公フィリッポ2世(イタリア語版)の代理人であるパトラ司教(ギリシア語版)アンゲロウスによって包囲されていることを知った。フィリッポ2世はアカイア公国の所有権を巡ってターラント公ロベルト(イタリア語版)の継子であるユーグ・ド・リュジニャン (fr) の実母かつ代理人でもあるマリーと争っており、アンゲロウスはフィリッポ2世の代理人としてマリーの領地を奪取したのである。マリー・ユーグ母子は1366年初頭にプロヴァンスとキプロスから傭兵を召集して、アカイア公国の返還を要求し始めた。交渉中にマリーの居城であるピロス城にて、ギヨーム・ド・タレーがフィリッポ2世の代官であるシモン・ド・ポッジョを捕えて地下牢に投獄した。アメデーオ6世が到着するまでに、アンゲロウスの反攻がマリー母子をピロス城へと窮地に追いやっていた。アメデーオ6世は仲裁を求められていた。アメデーオ6世は、マリーにパトラ以下の幾つかの要求を放棄させ、アンゲロウスの方には自軍をアカイア南部から撤退させてマリーの領地から平和的に立ち去させることを決定した。"危機に陥った乙女" が救い出されて"教会の権利"が守られると、アメデーオ6世は船に戻った 。 アメデーオ6世のガレー船の艦長であるアンテルム・ドゥティエーレ率いるヴェネツィア艦隊は、コロニにてエティエンヌ・ド・ラ・ボーム提督率いる14艘のジェノヴァ艦隊と合流した。十字軍は、ブレス、フォシニー(フランス語版)、サヴォイアと地域ごとに分けられてガレー船に乗せられた。全艦隊は互いに見える範囲で航行し、アメデーオ6世の乗船する船の先頭に立って航行する船はなかった。これに違反する指揮官は罰せられるよう、命令が出されていたからである。互いの船の意思融通のため、昼は旗で、夜は灯りによる合図が示された。攻撃の時にはアメデーオ6世の船からラッパの合図が鳴らされた。航海全体はアメデーオ6世のもとで厳格なものであった 。艦隊はコロニからイドラ島のアギオス・ギオルギオウス (San Giorgio d'Albora) に進んでそこから、ハルキス (Negroponte)、最終的にエヴィピロス(ギリシア語版)に向かい、最後に止まったのがオスマンの領域に入る前であった。ここで十字軍は綺麗な水を購入し、アメデーオ6世の侍医であるギー・アルバンは一種の腹痛剤である saculi pro stomaco を購入した。
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