ヴァルガス時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/17 07:59 UTC 版)
詳細は「ヴァルガス時代(英語版)」および「エスタード・ノーヴォ (ブラジル)」を参照 プレステス部隊の蜂起の最中の1926年にサンパウロ州出身のワシントン・ルイスが大統領に就任したが、1929年の世界恐慌はブラジルのコーヒーを中心とした経済に大打撃を与えた。その一方でサンパウロ州はカフェ・コン・レイテ体制の維持を図ろうとしたため、1930年に体制から離反したミナス・ジェライス州を加えた地方諸州が「自由同盟(ポルトガル語版)」(アリアンサ・リベラル)を結成し、1930年のサンパウロ州出身のジュリオ・プレステス(ポルトガル語版、英語版)が当選した大統領選挙を不正選挙だと批判した。 この間、自由同盟は武装蜂起を計画した。同年10月3日、リオ・グランデ・ド・スル州、ミナス・ジェライス州、パライバ州から反乱が勃発。すでにリオデジャネイロを支配下においていた軍部は、この反乱を支持し、11月3日にリオ・グランデ・ド・スル州のジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガスが大統領に就任した。同月11日、ヴァルガスは臨時大統領令第一号を公布した。これは、1891年憲法を廃止し、行政権と国及び地方自治体の立法権を大統領に移管するものであった。 就任後、伝統的な大農園主を基盤に持たなかったヴァルガスはテネンテ(青年将校)と、都市中間層、労働者に支持基盤を求め、既存のサンパウロ州、ミナス・ジェライス州の大地主との戦いをはじめた。このため、既得権益を奪われることになるサンパウロで1932年7月9日に反乱が勃発したが(護憲革命)、ヴァルガスはこれを鎮圧した。 エスタード・ノーヴォ(新国家)のイメージ インテグラリスタの総会(1935年)中央に座っているのが党を指導したサルガード 民族解放同盟結成者の一人ルイス・カルロス・プレステス「希望の騎士」と渾名された 1932年には新選挙法が制定されて婦人参政権が認められたが、非識字者の投票権は認められなかった。1934年に新憲法が制定されると、従来州知事の管轄だった州兵の指揮権が連邦大統領に移管されるなど、様々な中央集権色の強い条項が盛り込まれた。この1934年憲法では初めて秘密投票が制度化されたものの、依然としてブラジル国民の2/3を占めた非識字者は投票権を認められなかった。 また、この時期はブラジルにおいて初めて全国規模の政党が誕生することとなった。すなわちブラジル共産党(1922年の創立以来非合法)と、ファシズム政党・ブラジル統合主義運動(アソン・インテグラリスタ・ブラジレイラ、略称AIB)である。ブラジル統合主義運動は、ブラジルの保守的価値観であるところの「神、祖国、家族」と反共を掲げていたことで、ヴァルガス側からの庇護を受けていた。しかし、12月17日の政権議会によってヴァルガスが正式に大統領に選出されると、体制の権威主義的姿勢はより明確になった。
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