ヴァルカン鉄工所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 23:31 UTC 版)
「コリン・アレクサンダー・マクヴェイン」の記事における「ヴァルカン鉄工所」の解説
マクヴェイン夫妻は横浜到着時から、ジェームス・カーティス・ヘボンやマーカンタイル銀行 (Mercantile Bank of India, London and China) のアラン・シャンド (Alexander Allan Shand) らと親しくしており、灯明台掛を辞職してからは弁天の官舎からヘボン邸に移り住んだ。仕事ではアーネスト・ウェトン (Ernest Wetton) とヴァルカン鉄工所を共同経営し、技師のリチャード・ブリジェンス、ウィットフィールド、ドーソンらと協働していた。 1869年にイギリスから戻り、民部省管轄の横須賀製鉄所・横浜製鉄所担当になっていた山尾庸三と横浜で出会い、スコットランドに共通の知人がいることから急速に親しい間柄になった。鉄道主任技師のエドモンド・モレルの助言を受けて、伊藤博文は工部省を立ち上げようとしており、それを受けて山尾は工部省の具体像を思案していた。その際に、モレルの強い提案で技術者養成機関(技術学校)を、またマクヴェインの提案で測量部局を付け加えることにした。 フリーメイソン横浜ロッジの会員であり、1871年から管財係を務めていた。
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