灯明台掛勤務
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 23:31 UTC 版)
「コリン・アレクサンダー・マクヴェイン」の記事における「灯明台掛勤務」の解説
1868年8月に横浜に到着し、主任技師ブラントンの指揮のもとで、横浜外国人居留地の測量と地図作成、イギリス領事館敷地の測量、横浜港整備、灯明台掛事務所・工作場・宿舎などの建物建設、測量船の設計などを行い、翌年には神子元島灯台の建設を開始した。 長女が生まれたばかりで下田に渡り、3ヶ月にわたって日本人の役人と石工とともに神子元島灯台建設に従事したが、お互いに意思疎通がうまくいかず、工事は困難を極めた。ブラントンに工事手順の見直しを求めたが、聞き入れられず、ブランデルとともに灯明台掛に辞職を申し出をした。 日英政府の仲介による雇用契約であったため、北方灯台局は穏便な解決法をさぐり、この辞職を認め、北方灯台局とともにブラントンの妻のウォーコップWauchope家が日本の灯台建設を支援することで決着。 マクヴェインは帰国旅費が支払われず、横浜でヴァルカン鉄工所を経営、ブランデルは7ヵ月後に鉄道掛に転属。
※この「灯明台掛勤務」の解説は、「コリン・アレクサンダー・マクヴェイン」の解説の一部です。
「灯明台掛勤務」を含む「コリン・アレクサンダー・マクヴェイン」の記事については、「コリン・アレクサンダー・マクヴェイン」の概要を参照ください。
- 灯明台掛勤務のページへのリンク