カンポス・サーレスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > カンポス・サーレスの意味・解説 

カンポス・サーレス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/30 04:36 UTC 版)

マヌエル・フェハス・ジ・カンポス・サーレス
Manuel Ferraz de Campos Sales


任期 1898年11月15日1902年11月15日
副大統領 フランシスコ・ヂ・アシス・ロサ・エ・シルヴァ

出生 1841年2月15日
ブラジル帝国カンピーナス
死去 (1913-06-28) 1913年6月28日(72歳没)
ブラジルサントス
政党 サンパウロ共和党
配偶者 アナ・ガフリエラ・デ・カンポス・サーレス
署名

マヌエル・フェハス・ジ・カンポス・サーレスManuel Ferraz de Campos Sales1841年2月15日 - 1913年6月28日)は、ブラジル法律家、政治家。1898年から1902年まで、第4代ブラジル合衆国大統領を務めた。

サーレスは1841年にサンパウロ州カンピーナス市に生まれ、長じて法律家となり、またコーヒー農園主として財を成した。のち政界に転じ、法務大臣上院議員を歴任したのち、1894年から1897年までサンパウロ州知事を務めた。1898年の大統領選挙にサンパウロ共和党から出馬し、前任のプルデンテ・デ・モライス大統領らの支援を得て当選した。

サーレスは大統領に就任すると厳しい金融改革を実施した。また、サーレスは各州の自治権を大幅に認め、州の内政に容喙しない一方で全国的な案件には各州の協力を得る体制を整え、これによりブラジルの政治は寡頭政治体制を取る各州の州知事が力を持ち、特に有力州であるサンパウロ州とミナスジェライス州が覇権を握るカフェ・コン・レイテ期を迎え、安定をみせた[1]

1913年、死去。

脚注

  1. ^ 「概説ブラジル史」p118 山田睦男 有斐閣 昭和61年2月15日 初版第1刷
公職
先代
プルデンテ・デ・モライス
ブラジル合衆国大統領
第4代:1898年 - 1902年
次代
ロドリゲス・アルヴェス
先代
Bernardino José de Campos Júnior
サンパウロ州知事
1896年 - 1897年
次代
Peixoto Gomide



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「カンポス・サーレス」の関連用語

カンポス・サーレスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



カンポス・サーレスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのカンポス・サーレス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS