ワイドショー化の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 22:07 UTC 版)
1970年代のニュース番組においては、ハードニュースのみを扱う番組が編成されて来た。しかし、1974年4月1日にプライムタイムにてワイドニュースショーとして、『ニュースセンター9時』(NHK)を開始。これまで扱って来なかった文化、芸能等のソフトニュースを扱い始めたりと日本に今まで無かった報道番組のスタイルだったため、元朝日放送解説委員であった岡村黎明は、「民放こそ親しみのあるニュースが必要なのに先を越されたという意味で、ニュースセンター9時を見て民放はしまったと思った」と自著で回想している。 1980年代に入り、1985年10月、『ニュースステーション』(テレビ朝日)が開始された。オフィス・トゥー・ワンの社長である海老名俊則が電通と共にテレビ局に持ち込んだ企画で、この番組の誕生により放送局の報道局単独での制作が主流だった報道番組にて番組制作会社が制作に参加するスタイルが誕生した。以後、ニュース番組の番組制作に番組制作会社が係る様になって行く事となった。 1990年代前半からハードニュース、ソフトニュースの扱う比率を比較し、ソフトニュースの比率が高くなったと分析されており、1995年3月20日に発生した地下鉄サリン事件をきっかけに、ワイドショーの側がオウム真理教事件を連日取り上げる様になり、ジャーナリストや弁護士が事件の解説を行う様になった結果、報道番組とワイドショーが曖昧な状態になって行った。 その後、1999年4月1日『情報プレゼンター とくダネ!』(フジテレビ)の放送開始を機にワイドショーの報道化も加速し両者の垣根がほぼ取り払われた格好となり、本格化した2000年代以降、『FNNスーパーニュース』(フジテレビ)において、2000年4月3日からの番組リニューアルの際、視聴率を獲得するためテコ入れとして、ワイドショー化を加速させた。 そして、プライムタイムのニュース番組においても、2006年10月に開始された『news zero』(日本テレビ、番組開始時の番組名表記は『NEWS ZERO』)は初めて芸能情報コーナーを取り扱う様になった。民放キー局及び準キー局で放送されている夕方のニュース番組は全時間帯際立ってワイドショー化しており、番組構成によって、朝や昼に放送されている情報番組と似ている番組構成となっている。 民放キー局においてニュース番組とワイドショーのボーダレス化が進み、テレビ局内の部署にも報道局とは別に「情報制作局(フジテレビ),(TBSテレビ)」、「情報カルチャー局(日本テレビ)」という情報番組とバラエティ番組を制作する部署が誕生し、その部署と報道局が連携してニュース番組を制作するケースが増えて行った。『news zero』も同様に情報番組を制作する「情報カルチャー局」が加わったプロジェクトチーム制を取っている。 それに伴い、民放キー局で放送されているニュース番組をベースにして番組構成されている、選挙特別番組も同様の演出、出演者構成にシフトするようになった。
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