ローレンス判決までの判例
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 15:26 UTC 版)
「ローレンス対テキサス州事件」の記事における「ローレンス判決までの判例」の解説
アメリカ合衆国では、性行為の自由は結婚に付随するものと考えられ、結婚外での性行為は伝統的に様々な規制の対象となっていた。肛門性交やオーラルセックスは、多くの州で姦通罪と同様刑事罰の対象とされており、1962年までは全ての州において、これら「通常でない」性行為を罰する、いわゆるソドミー法が設けられていた。1960年代以降、性的関係や婚姻に関する社会通念が変化し、女性の地位が向上するのに伴い、婚前交渉が一般的となり、また結婚しないパートナー関係を持つカップルも増えていった。こうした社会規範の変化の中、同性愛に対する敵対的な見方も和らぎ、同性愛関係を公言する人も多くなった。1962年にイリノイ州で初めてソドミー法が廃止され、1970年代には、多くの州が同様の法改正を行った。 合衆国最高裁は1965年、グリスウォルド対コネチカット州事件判決において、性の解放の流れに与することになった。グリスウォルド判決は、合衆国最高裁としては初めてプライバシーの権利を認め、婚姻関係にあるカップルが避妊具を用いることを禁止したコネチカット州法を違憲と判断した。1972年のアイゼンスタット対ベアード事件判決では、未婚者への避妊具の提供を禁じたマサチューセッツ州法が違憲とされた。アイゼンスタット判決の多数意見を執筆したブレナン判事は傍論部分で、「もしプライバシーの権利が何らかの意味を持つのであれば、それは子供を生むか否かに関する個人の決定に影響を与える重大な事柄に対する政府の不当な介入から自由である権利であり、これは既婚・未婚に関わらない個人の権利である」と述べた。この判決は、既婚カップルのみならず、全ての出産に関係する性行為に対して憲法上の保障を与えたものと考えられ、実際にこの論旨は、妊娠中絶の権利を認め大きな議論を巻き起こした1973年のロー対ウェイド事件判決で引用されている。 1986年のバウアーズ対ハードウィック事件は、家の中でオーラルセックスを行い逮捕されたものの不起訴処分となった男性同性愛者が、同性間・異性間を問わず肛門性交やオーラルセックスを禁じたジョージア州法を違憲であると主張してジョージア州司法長官を訴えた事案である。合衆国最高裁は、5対4で合憲との判決を下した。ホワイト判事による多数意見は、アイゼンスタット判決およびロー判決は出産に関連する性行為の自由を認めただけであると強調した上で、州は男性同性愛者による性行為への伝統的な倫理上の嫌悪感を理由に同性愛行為を禁止することができると判示した。ホワイト判事は、もし違憲と判断すれば、裁判所が立法府に代わって自らの倫理上の判断を行うことになってしまうと主張した。この判決には、エイズの広がりに対する社会的懸念の広がりやロー判決に対する強い批判といった、時代的背景が影響しているとの指摘がなされている。ブラックマン判事は反対意見で、問題は同性愛者の性行為の自由ではなく、包括的な「そっとしておいてもらう権利」であると主張した。多くの法律学者がこのブラックマン判事の見解に賛意を表明した。 その後、ケンタッキー州最高裁判所は1992年のケンタッキー州対ワッソン事件で、同州憲法の規定を根拠に同性間性行為を禁止する同州の法律を違憲とした。合衆国最高裁も1996年、ロマー対エバンス事件において、性的指向にもとづく差別を禁止する自治体の条例を廃止したコロラド州憲法の規定を違憲とした。エイズが下火となり、ソドミー法が14州を除き廃止される中、バウアーズ判決がいまだに有効な判例法かどうかを疑問視する見解もあった。
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