レディ・ワシントン号とグレイス号の来航とは? わかりやすく解説

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レディ・ワシントン号とグレイス号の来航

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/14 16:52 UTC 版)

日米修交記念館」の記事における「レディ・ワシントン号とグレイス号の来航」の解説

1853年ペリー提督浦賀来航黒船来航)があまりに有名であるため、それ以前にも日米交流があったことは忘れられがちである。実際にアメリカ人として日本最初に渡航して貿易申し込んだのは、それより62年も前の1791年ジョン・ケンドリック紀伊大島への来航である。ボストン商人等がスポンサーとなり、アメリカ西海岸原住民から毛皮入手し太平洋横断して広東売りさばく計画立てられ1787年にケンドリックおよびロバート・グレイを船長とする2隻が派遣された。2隻はボストンから大西洋南下し南米ホーン岬沖を通過して太平洋入り北上して西海岸到着したが、これはアメリカ人による最初西海岸探検でもあった。毛皮入手後、グレイ予定通り広東毛皮売り西回りボストン戻ったが、遅れてマカオ到着したケンドリックの取引上手くいかなかった。マカオには西海岸出会っていたウィリアム・ダグラスグレイス号)も来航しており、一行マカオから西海岸に戻る途中で日本寄港し毛皮販売試みたものであった。しかし、当時日本で、毛皮は全くの価値持っていなかったために交易交渉上手くいかず、数日後日本離れている。 ケンドリックの一行は、当初の計画から交易という明確な目的をもって南日本寄港する予定だったが、想定外悪天候見舞われ紀伊大島漂着装い寄港することになった。そして、住民警戒心与えないために中国人船員に書かせた漢語の手紙(我々は紅毛人商船であり、積み荷しかなく、軍事的な意思持っていないなどの旨が漢語書かれた)を手渡したりしている。また、毛皮貿易申し込んだことが書簡公文書(『マサチューセッツ海事史』ほか)などから明らかになっているが、大島との村民やりとりの上で、毛皮当時日本では全く価値がないことを知らされ交易する意欲はまるで失せたという、 一方日本ではこの来航は偶然の「漂着に過ぎない史実隠蔽されてきた。これは、当時江戸幕府統治下、よりによって江戸幕府御三家であり、絶大な権力持っていた紀州藩外国密に接触するようなことが表沙汰になり、幕府信用失墜することを恐れたためであり、紀州藩武士大島派遣し掃討する計画実行していた。 結局、ケンドリックらは、幕府から追手向かっていることを知らされたことなどで、紀州藩幕府役人などと交渉すると無く天気回復待ってそのまま日本離れている(一度目は悪天候のため足止めされたが、幸い、紀州藩追手らも悪天候のために足止めされた)ため、ペリー来航などと比べる重要な出来事とは認識されていないこのため教科書にも掲載されておらず、日本においてこの日米最初出会いはあまり知られていない。しかし、この出来事以後幕府海外警備が更に厳重となるなど、歴史的に大きな影響与えている。また、数日間だけの大島船員との交流詳しく記されていないが、敵意がないことが分かる村民はかなり友好的に接していたようで、船員対し、米やなどを贈っていたことが、後の航海日誌明らかになっている。 なお、ワシントン州アバディーン市では1989年にケンドリックの乗ったレディ・ワシントン号再建造が行われたほか、マサチューセッツ州ウエアハムにあるケンドリックの旧宅がケンドリック記念館として保存・公開されている。また、2016年にはグレイス乗組員のサミュエル・デラノの航海日誌確認されたことで、より正確な内外での事情が明らかとなった

※この「レディ・ワシントン号とグレイス号の来航」の解説は、「日米修交記念館」の解説の一部です。
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