リンゴとの結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 03:33 UTC 版)
「モーリン・コックス」の記事における「リンゴとの結婚」の解説
18歳になったモーリンは、1965年2月11日にリンゴと結婚した。彼らの最初の子供ザック・スターキーは、1965年9月13日に誕生した。その後もう2人の子供たち(1967年8月19日のジェイソンと1970年11月11日のリー)が誕生した。この間、モーリンはリンゴにとって大きな人生の一部であり、二人は常に共にあった。モーリンは、『ホワイト・アルバム』に収録されている「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル」でオノ・ヨーコと共にサイドボーカルを担当し、また1969年に映画『レット・イット・ビー』でのアップル屋上コンサート最後の「ゲット・バック」演奏終了後のシーンで喝采を送り、ポールが「ありがとう、Mo」と言っているのを聞く事ができる。 ビートルズがアップル・レコードとして出したカタログの最初の曲は、フランク・シナトラが個人的にリンゴのファンとして、1968年のモーリンの22歳の誕生日にプレゼントした、極めてプライベートな物だった。 フランク・シナトラは、シナトラの大ファンだったモーリンのために、サミー・カーンがローレンツ・ハートの歌詞を特にモーリン個人向けに書き直した「The Lady Is a Tramp」をロサンゼルスで録音した。そのマスターテープは消去されたが数点のコピーは残された。 リンゴは、1968年8月4日にこのユニークなシングルを発表してモーリンを驚かせた。ビートルズ/シナトラの共作と言う記念すべきこの作品は、現存する数少ないレコード及びコピー版の中でも特にコレクター間では貴重な物として扱われている。音質の悪い海賊版がコレクター間で出回り始め、現在でもいくつかの海賊版のアルバムで聞く事ができる。カーンが手を加えた歌詞をシナトラが熱唱する間、カーンはピアノを演奏した。それはわずか2人だけのパフォーマンスだった。 フィラデルフィアのラジオ局 WMGK のアンドレ・ガードナーが2005年に元ビートルズマネージャ、ピーター・ブラウンに行ったインタビューの際、ブラウンは、シナトラのレコーディングを成功させる事に於ける彼自身の役割を広範囲に解説した。 パティ・ボイドの自伝「Wonderful Tonight」で言及されている、モーリン自身の不倫問題の様な二人が直面した結婚問題の全てにもかかわらず、モーリンは決して離婚を望んではいなかった。しかしリンゴは離婚を希望し、結局モーリンは離婚を承諾した。1975年7月17日、離婚は、リンゴとアメリカ人モデルのナンシー・リー・アンドリュースとの問題を理由に決定付けられた。
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