ヨーロッパ出張とは? わかりやすく解説

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ヨーロッパ出張

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 22:20 UTC 版)

伊藤庸二」の記事における「ヨーロッパ出張」の解説

1937年春、ヨーロッパ出張の際、「ドイツ海軍電波使用して距離を測れる装置開発成功した」との未確認情報ドイツ聞きまた、イタリアで短波使った兵器開発可能性について話を聞いたところであった伊藤ドイツ大使館経由軍中央に報告したが、この情報握りつぶされたという。 伊藤研究室にて1933年から続けていたマグネトロン磁電管)の研究進み1937年末には八分陽極マグネトロン最初試作品作成。これを基に型、型のセンチ波マグネトロン開発成功する1939年初頭マグネトロン研究成果一部日本無線公開し、その出力増加量産化委ねたマグネトロン使って暗中測距装置共同研究開始し1940年秋に試作機完成させ、同年10月10日鶴見沖で空母「赤城」対象実験行い成功させた。ただし、海軍マイクロ波技術即戦力ならない判断し開発中止させてしまった。一方、ほぼ同じ頃にイギリスでも同じ方式マグネトロン開発されアメリカにこれが提供された後、マイクロ波レーダーとして開発され戦争活用されている。 1939年春、大和田受信所(のち大和田通信所)の初代所長和智恒蔵より、アメリカ軍太平洋艦隊発する電波解析について相談を受け、協力することとした。密かに作業進め、望ましい結果を得るための状態や、その場合の受信地の場所などの助言をまとめた報告書作成。この結果太平洋艦隊週初めに基地出て、ラハイナ・ロードという海域訓練をし、週末真珠湾帰投して休養を取るという行動様式確認。後に真珠湾攻撃日時決めるのに役立ったとみられる1941年2月下旬から6月にかけて、ドイツ視察同行しパルス変調使った航空機検出装置見学し海軍本部報告する。同じ頃、ロンドン駐在浜崎造兵中佐からもレーダーに関する情報報告され日本でもレーダー電探)の開発進められるその後完成した対空用の二号一型電探と、対水上警戒用の一〇三号電探(後の二号二型電探)を戦艦日向」に搭載した実験で、「一〇号について撤去すべき。」と判断された際、「目的異なるものを同じ装置で行うことは困難。」と伊藤異論唱えマイクロ波電探必要性訴えた

※この「ヨーロッパ出張」の解説は、「伊藤庸二」の解説の一部です。
「ヨーロッパ出張」を含む「伊藤庸二」の記事については、「伊藤庸二」の概要を参照ください。

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