ユニフォームについて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 04:12 UTC 版)
「バレーボール日本女子代表」の記事における「ユニフォームについて」の解説
1964年東京オリンピック前後から日の丸を連想する赤と白の配色を使用し、これが長らく日本代表の定番であった。また、1968年メキシコシティーオリンピックではシャツとブルマーがオレンジ色のユニフォームを、1972年ミュンヘンオリンピックではそれぞれが深緑色のユニフォームを着用したが、ミュンヘンオリンピック以後は再び赤と白タイプのものに戻った。 1989年から現在に至るまで、ミズノ社のユニフォームを女子は採用している。 1991年に赤・青・深緑・黒を基調にした4種類のユニフォームが登場。しかしながら公式戦においては赤か白を着用することがほとんどであった。1994年にはワンピースタイプ(一般に発売されたのはセパレーツタイプ)、1995年には一時期ワンピースタイプを改造したスパッツタイプ、1997年はワールドグランプリまでは(9月のバレーボールアジア選手権については不明)定番であったブルマーだったがグラチャンでスパッツタイプが採用され(ただし第3戦からはブルマーを着用(詳細は当該ページを参照))、1998年からはショートパンツが採用され半袖になり、2002年からはノースリーブ型に移行。2006年にはシャツの着丈とパンツの股上が短くなり、シャツネームの愛称使用も導入された。 2008年北京オリンピックのバレーボール競技・世界最終予選の頃にはまだ数名だったが、その後肘・膝サポーター(パッド)は、従来の白でなく黒で統一されていった。 2009年のグランドチャンピオンズカップでは黄色、2010年の世界選手権では代表ユニフォーム色としては珍しいオレンジが登場。また、移動時やベンチではオレンジ色のジャージを着用した。 東日本大震災が発生した2011年には、ワールドカップで左胸(日の丸の上部)にこころはひとつと小さく縫いつけられた。また、その日のユニフォームの色に応じて赤・黒・紫のお揃いの細いヘアバンド(ヘアゴム)を着用して臨戦する選手もいた。 近年オリンピックにおいては新デザインがお披露目されることがほとんどであったが、ロンドンオリンピックに於いては前年からのデザインのものを着用。 2013年のモントルーバレーマスターズから、動きやすさを追求した新ユニフォームを着用。同年秋のグランドチャンピオンズカップでは、それとは異なる新ユニフォームを着用。正面・脇に細かいドット柄のあるデザインで、新素材「テクノスパークLS」を使用し115g(従来比約10gの軽量化)を実現した。また、全日本史上初となる、赤を基調としたシューズを着用。なお、監督ほかスタッフのポロシャツ、選手の上ジャージは、共にマゼンタ色のものだった。 2015年にはミズノ社の「火の鳥カラー」(オレンジ色)の試合シューズで色を選手全員統一した。ユニフォームは従来通り3パターン(それぞれ赤・黒・白を基調としたもの)。 2016年には「火の鳥 NIPPON」を炎に例えてきたユニフォームの最終形として、最も高温時に発色する「ブルー」を採用(シューズカラーも)。これに伴い、パンツの色は従来の黒・赤の2種類から黒・紺へ変更となった。
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