メネリクの挫折とは? わかりやすく解説

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メネリクの挫折

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 08:28 UTC 版)

エチオピアの歴史」の記事における「メネリクの挫折」の解説

メネリク2世 ヨハンネス4世英語版) タイトゥ(英語版テオドロス2世死後皇帝となったのはギヨルギス2世英語版)だったが、これはワグ地区の長が混乱乗じてゴンダル占領した際に自称したもので、正式な皇帝ではなかった。当時実力者として挙げられる2人ティグレ諸侯カッサ英語版)とショア王のメネリク2世のうち、ギヨルギス2世のこもるゴンダルへ近い位置にいたのはカッサだった。カッサ12,000人の兵をもってギヨルギス2世率い60,000人の軍勢戦闘をしかけ、アッサムの地でこれを打ち破ったカッサはこの戦いで24,000人もの捕虜を得、またギヨルギス2世をも捕らえることに成功する。これにより、カッサ皇帝となる道が拓け、聖油式によってネグサ・ナガスト(諸王の王)に君臨するとともに、自らの名をヨハンネス4世英語版)と改めた出遅れメネリク2世は、このヨハンネス4世即位に対して消極的な反対行った。すなわち、承認拒否だった。メネリク2世はより積極的な妨害のためにエジプトけしかけようとしたが、ヨハンネス4世エジプト国境に軍を配備して隙をつくらず、メネリク2世狙い防がれた。代わって、メネリク2世次に接近したのは、東アフリカ進出気配見せていたイタリアだった。メネリク友好関係築き近代兵器購入つなげようとした。しかし、1878年になるとヨハンネス4世勢力拡大するとともに圧迫受けたメネリク2世ショア内乱発生する。しかも、その首班として担ぎ出されたのはメネリク2世の妻であったメネリク2世はしばらくその対処追われることになる。また、周辺地域混乱するショア背を向けウォロなどがヨハンネス支持鞍替えする。一方ヨハンネス4世はこの時期食糧難苦しんでおり、食料豊富なショア反乱は、まさに渡りに船であった1878年1月ヨハンネス4世ショアに軍を進めると、応戦準備すらできないメネリク和平望んだ。それに対し、ヨハンネスの要求は「奴隷500人、牛5万頭、馬1,000頭の貢物と、メネリク上半身裸にした上で罪人首枷をつけて謝罪させる」というものだったメネリク憤慨し戦闘の準備を急ぐが、膝もとであるショア評議会一方的に和平決定しメネリクもそれに従ってワダラ条約(英語: Treaty of Wadara)を締結した。ワダラ条約とはメネリクヨハンネス4世承認することと、ショア王であるメネリクが「諸王の王」への名乗り放棄することと、同時に双方勢力圏定め条約であり、これによりメネリクショア英語版)とウォロ英語版)とガラ地方(英語: Galla-land。オロモ及びオガデン)の領有認められヨハンネス4世ティグレ英語版)、アムハラ(英語版)、ゴジャム地方英語版)といったエチオピア北部支配しテオドロス2世築き上げたエチオピア帝国二分される形となった。このとき、ショア王都がLicheからDebre Berhanへ遷都された。 一方、この時期1883年にはイタリア東アフリカにおける植民地欲しエリトリア植民地化宣言している。これはエリトリア接すティグレ支配者、ヨハンネスにとって脅威となり、ヨハンネスはイタリア動き警戒したイタリアはヨハンネスに代わってメネリク友好関係を結び、イギリスアフリカの角周辺フランスが入るよりもイタリア入った方が与しやすい ためにこれを黙認したメネリクイタリア1883年5月に独自の通商友好条約締結し武器取引は一層拡大するイタリア政府にはメネリク傀儡として、エリトリアのみならずエチオピア植民地とする思惑があり、逆にメネリクもそれを利用した

※この「メネリクの挫折」の解説は、「エチオピアの歴史」の解説の一部です。
「メネリクの挫折」を含む「エチオピアの歴史」の記事については、「エチオピアの歴史」の概要を参照ください。

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