メネラーオスとの格闘とは? わかりやすく解説

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メネラーオスとの格闘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 05:00 UTC 版)

プローテウス」の記事における「メネラーオスとの格闘」の解説

ホメーロス『オデュッセイア』では、スパルタ訪ねたテーレマコスオデュッセウスの子)にメネラーオス語った話として次のようになっているトロイア戦争帰途メネラーオス船団は嵐に見舞われエジプトまで流された。8年の間帰国できず、パロス島で風を待ったが、ここでも20日順風が吹かなかった。そこへプローテウスの娘エイドテエー(エイドテアーとも)が、自分父親押さえつけて方策聞き出すようメネラーオス助言したメネラーオスは3人の部下とともにアザラシの皮をかぶり、浜辺プローテウス待ち伏せた。 やがてプローテウス多数アザラシたちと海から浜辺上がってきて、午睡始めたところをメネラーオスたちは襲って押さえつけた。プローテウス獅子大蛇、豹、野猪流水高く茂った樹木などに姿を変えて逃げだそうとしたが、メネラーオスたちが手を緩めなかったので、あきらめて元の姿に戻ったメネラーオス問い答えてプローテウスは、ギリシア諸将神の怒り買っており、メネラーオスエジプト戻って牛を生け贄捧げて許しを請わねばならないこと、また、諸将のうち小アイアース溺死したこと、メネラーオスの兄アガメムノーン最期を遂げたこと、オデュッセウスカリュプソー引き留められ領地帰れずにいることなどを語ったメネラーオスプローテウスからいわれたとおり、エジプトで牛を神に捧げてアガメムノーン記念碑建立すると、たちまち順風吹き始めた

※この「メネラーオスとの格闘」の解説は、「プローテウス」の解説の一部です。
「メネラーオスとの格闘」を含む「プローテウス」の記事については、「プローテウス」の概要を参照ください。

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