メソ・アメリカとは? わかりやすく解説

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メソアメリカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/06 05:16 UTC 版)

メソアメリカの範囲及び地域区分

メソアメリカ(Mesoamerica)は、メキシコおよび中央アメリカ北西部とほぼ重複する地域において、共通的な特徴をもった農耕民文化ないし様々な高度文明(マヤテオティワカンアステカなど)が繁栄した文化領域を指し、パウル・キルヒホフの文化要素の分布研究により定義された。地理的には、北はメキシコのパヌコ川からシナロア川あたりまで、南はホンジュラスモタグァ河口あたりからコスタリカのニコヤ湾あたりまでであるが、この境界線は歴史的に一定していたわけではない。

下記のように壮麗な神殿ピラミッドなどを現在も残すメソアメリカ文明が繁栄した地域であるメソアメリカでは、

などが興亡した。

これらの文化はアジアヨーロッパアフリカの三大陸の文明との交流を経験せず、地理的に孤立した環境で発展した。また、南米のインカに代表されるアンデス文明との関係性もないと見られ、その意味で、古代中国、メソポタミア、アンデスとこのメソアメリカが「世界の四大一次文明」と呼ばれることもある[2]。製鉄技術を知らなかったものの、巨大な建造物や都市を造営できるほどの建築技術や天体観測による暦、独自の文字体系を有し、宗教においても独自な体系を成立させるなど、他大陸の文明とは際立った特徴を有していた。 神殿文化は紀元前二千年紀の末に起こり、それから約2500年の間、外部世界の影響や干渉を受けることなく自力で発展し続けた。ところが15世紀の末、コロンブスに率いられたスペイン人が突然侵入してきた[3]。スペイン人は政治的に住民を征服したばかりでなく、キリスト教化が図られる中で、神殿等は破壊、高度な技術・文化部分を担っていたと思われる旧来の王や貴族等の支配者、聖職者等の層が弾圧されたこと、スペイン人らによって持ち込まれた伝染病によって人口が激減したことにより、その内容が十分に理解・継受されることのないまま滅亡することとなった。

脚注

  1. ^ 佐藤徹「年表」 増田義郎・山田睦男編『ラテン・アメリカ史I』所収 山川出版社 1999年
  2. ^ 青山和夫「マヤ文明 最新の研究成果」 NHK解説委員室”. NHK. 2023年8月2日閲覧。
  3. ^ 山田睦男「総説世界史のなかのラテン・アメリカ」、増田義郎・山田睦男編『ラテン・アメリカ史I』山川出版社 1999年

参考文献

関連項目


メソアメリカ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 07:19 UTC 版)

庭園史」の記事における「メソアメリカ」の解説

アステカ文明における造園君主上流階級向けの娯楽または職種であり、湖にあるチナンパという浮島特徴的である。チナンパ基本的に農作であったが、アステカ庭園湖水利用するためにその近辺の岩を掘削して造られた。その起源紀元1千年紀テオティワカン遡るとされるが、大きく発展したのは15世紀になってからであったアステカ庭園テノチティトラン近郊神聖なプライバシー空間と、テスココ湖の島における狩猟園という2種大別される。そこには宮廷浴場劇場墓地を含むこともあり、道の傍には灌漑用水路平行したとともにメキシコラクウショウ(英語版)やセコイア並べられていた。 テスココネサワルコヨトルによるチャプルテペクではテラスのある丘上の植林ラン育成記録されているほか、テスコツィンコの別荘草花には丘から数キロに及ぶ水路通じて送られてきていた。モクテスマ1世はオアステペック(英語版) での造園に際して10キロもの柵とダム湖を造らせ、その周り多様な熱帯植物置いたアシャヤカトル庭園保有する者らに風光明媚な景観設計をするよう促し、彼が擁した遊園様々な鳥類爬虫類がいる動物園のようであったという。彼らによるこうした数々庭園侵攻してきたスペイン人らに美し果樹園として驚かれ、そして記録されたが、コルテスらの制圧段階にて打ち壊されてしまった。チャプルテペク征服者狩猟園および屋敷として改造された後、現代では公園となっている。 インカ帝国庭園に関する記録はあまり残されていないが、ウィリアム・H・プレスコット英語版)によると、現在のペルー一帯採掘され大量金銀により、煌びやかなパルテール英語版)と水路、池などが造られていた。ユカイ英語版にあった庭園でも現地熱帯固有の草花彩り、銀の水道と金貯水池により提供されていたという。インカ人は後述するペルシア人のように技巧凝らした灌漑用水路山の湖などから引いており、その全長650キロ以上、縦1.5メートル、横1メートル規模であった

※この「メソアメリカ」の解説は、「庭園史」の解説の一部です。
「メソアメリカ」を含む「庭園史」の記事については、「庭園史」の概要を参照ください。

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