メジャー以前
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中学卒業までを故郷である、沖縄県の離島・伊江島で過ごし、パソコンもインターネットもないという環境の中で、1960年代 - 1970年代の洋楽好きな父親のブルースやオールドロックのCDを聴き、ギターをおもちゃ代わりに育つ。 6歳のときに父親に買ってもらってギターを弾き始める。基本的なコードを教わった後はほぼ独学で、小学校3年の頃にはコードが押さえられるようになり、その頃からノラ・ジョーンズなど自分の好きな曲を耳コピーして弾くようになった。曲作りを始めたのは中学校3年生のとき。小さい頃から歌手になりたいと思っていたが、中学2年生の頃に歌手になるには自分で歌うための歌を作らないといけないと思い、まず歌詞を自分で書き始めた。ギターが弾けたので3年生になると曲も作り始め、そこからシンガーソングライターという道も考え始めた。 島には高校が無いため、高校進学と同時に沖縄本島の那覇市へと転居する。高校ではマーチング部に入部してトロンボーンを吹いていたが、部活の合間に曲は書きためていた。一方、米国人の祖父を持つクォーターで生まれつき髪が茶色がかっていることから、高校入学時に地毛申請に加え、幼少期の写真も提出した。しかし、校則に基づいて毎月行われる頭髪検査で、本当に地毛であるかどうかのチェックが幾度となく行われ、その時に抱いた嫌悪感や疑問を「MANUAL」という楽曲で表現している。高校2年の時に本格的にプロを目指すことを決意し、部活を辞める。まず生まれ故郷の伊江島でライブを行い、もっと色んな人に聞いてもらいたいという思いが強くなって那覇市内のライブハウスでも弾き語りによるライブ活動をスタートさせる。 2015年の春に高校を卒業すると、6月に沖縄ナムラホールで実施されたシンガーソングライター・miwaのアコースティック・ライブ・ツアー『アコギッシモ3』のフロントアクトに抜擢された。また東京・下北沢のライブハウスでのパフォーマンスが音楽関係者の目にとまり、まったく無名のアーティストながら「FUJI ROCK FESTIVAL '15」や「SUMMER SONIC 2015」などの大型夏フェスを紹介するJ-WAVEのレポーターとして採用される。 2015年8月、インディーズ・レーベルからシングル「Bye-Bye」をリリース。表題曲をはじめとするオリジナル曲に加え、ガブリエル・アプリンのカバー「Please Don't Say Your Love Me」などが反響を呼んだ。
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メジャー以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 08:41 UTC 版)
1990年6月15日に神奈川県三浦郡葉山町で生まれ、その後東京都に引っ越す。父親が音楽好きだったため、幼い頃から父親の聴く音楽を自然と耳にしていた。 15歳の頃から作曲を始めるようになり、高校入学後に独学でギターを始めるがなかなか上達しなかったため、その後は習いに行った。 「Wake Up, Break Out!」を高校1年生の時に制作する。高校在学中、ライブハウス「下北沢ロフト」を中心に都内、夏休みなどには父親の実家がある沖縄県(主に北谷)でライブ活動を行うが、通っていた高校は芸能活動が禁止であったため、友人にも秘密にして活動を続けていた。その期間に自主制作による2枚のシングル「Song for you/TODAY」「そばにいたいから」を枚数限定で発売。その後、メジャーデビューが決定したため高校3年生の冬から本格的な楽曲制作に取りかかる。
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