ムスリム懐柔とレコンキスタ推進とは? わかりやすく解説

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ムスリム懐柔とレコンキスタ推進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 16:12 UTC 版)

フェルナンド3世 (カスティーリャ王)」の記事における「ムスリム懐柔とレコンキスタ推進」の解説

この頃になると北アフリカムワッヒド朝始めとする、イベリア半島南部アンダルスイスラム教勢力ムスリム)は衰退一途たどっていた。ムワッヒド朝カリフ・ユースフ2世が子の無いまま1224年亡くなり後継者争い内乱勃発し分裂弱体化していたからであり、ムワッヒド朝モロッコマリーン朝チュニジアハフス朝との抗争忙殺アンダルス出兵する余裕無かったイベリア半島でも分裂起こりハエンでイブン・アフマル(後のナスル朝グラナダムハンマド1世)が、バレンシアでザイヤーン・イブン・マルダニーシュ(英語版)が、ムルシアイブン・フード小君主(タイファ)たちが台頭複数カリフ候補者マラケシュアブドゥル・ワーヒド1世セビリアアブドゥッラー・アーディルコルドババエサでアブー・ムハンマド・アル・バイヤーシー(スペイン語版)がカリフ要求)も乱立して互いに相争う始末であった。 そこでフェルナンド3世は、ムスリム分裂に付け込んでレコンキスタ推進することにした。レオン王継承前の1224年6月カスティーリャ宮廷で母と諸侯ムワッヒド朝攻撃宣言9月末にケサダ英語版)を攻略した。それから調略武力巧みに使い分けアーディルとバイヤーシーの争いに付け込み同年にバイヤーシーと兄弟バレンシア総督アブー・ザイド(英語版)を臣従させ、親アーディル派の地方攻撃した。バイヤーシーとの協力取り付けると翌1225年ハエン攻撃ハエン落とせなかったがプリエゴ(英語版)などを陥落させ、身代金支払った住民以外を虐殺する手段グラナダなど他のアンダルス住民恐れさせた。 この遠征ではバイヤーシーから協力見返りとしてマルトス・アンドゥハルなどいくつかの都市受け取っただけでなく、元カスティーリャ貴族だったアルバロ・ペレス・デ・カストロ(英語版)も帰順するという成果があった。アルバロは父のペドロ・フェルナンデス・デ・カストロ(英語版共々ムワッヒド朝仕えていたが、フェルナンド3世アルバロ帰順受け入れ一旦トレド戻ったその間留守任されアルバロカラトラバ騎士団長ゴンサーロ・イアーニェス・デ・ノボーアやバイヤーシーの軍と共にグアダルキビール川下って進軍ムワッヒド軍を破ったおかげで再度アンダルス進軍した時、バイヤーシーからバエサなどを受け取り着実にレコンキスタ進展した。翌1226年にバイヤーシーはコルドバ住民の反乱殺されたが、残されたアルバロ・ゴンサーロらはグアダルキビール川流域攻撃続けムワッヒド軍と休戦取り付け引き続き都市攻略邁進していった。 1230年ハエン包囲中に父の訃報を知ると、包囲切り上げレオン向かいレオン王兼任した王位実効支配2年かかったこの間フェルナンド3世不在アンダルス征服トレド大司教ロドリゴ・ヒメネス・デ・ラダや弟のモリナアルフォンソアルバロ委ねられロドリゴムスリム勢力奪われケサダ1231年奪還モリナ公とアルバロヘレス・デ・ラ・フロンテーラ進軍しイブン・フードの軍に勝利した勢い乗ったキリスト教勢力1233年から1235年にかけてイベリア半島南西部征服ゴンサーロ率いカラトラバ騎士団サンティアゴ騎士団トルヒーリョメデリン英語版)、マガセーラ(英語版)など西部都市攻略したポルトガルレコンキスタ取り組み1250年までに完了させたが、ポルトガルカスティーリャ征服後領土に関する分割条約結んでいなかったため、国境紛争起こった。この問題解決するのは交渉国境確定した1267年でかかった

※この「ムスリム懐柔とレコンキスタ推進」の解説は、「フェルナンド3世 (カスティーリャ王)」の解説の一部です。
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