ミハイロフ家の人々、及び関係者
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ドミートリィ・ミハイロフ アレクセイの異母兄、ミハイロフ侯爵家の正妻の子・長男であり、侯爵家の跡取りであった(1879年生まれ)。 故郷サンクト・ペテルブルクを離れ、モスクワ音楽院で学んでいた。のちサンクト・ペテルブルクに戻ってからは音楽家として将来を嘱望されていたが、革命運動に参加し、同志たちと共に逮捕された仲間の奪還を企てる。しかし計画の実行直前に、同志の1人で、アルラウネに横恋慕したユーリィ・プレシコフに裏切られて逮捕され、アルラウネに弟を託し、銃殺刑に処された(1900年)。彼は革命運動家の中で伝説的な存在となり、また、弟のアレクセイに対しても、思想面のみならず、その精神面において極めて強い影響を与えた。 アルラウネ・フォン・エーゲノルフ 第1部でも登場。ミハイロフ兄弟の家庭教師をしていたドイツ人エーゲノルフ教授の娘で、ドミートリィの婚約者。共に革命運動に従事する同志でもあった(1882年生まれ)。ドミートリィの処刑後は、彼の弟アレクセイを一人前の革命家として教育することを心に誓う。逃亡先のドイツでは、ベーリンガー家の旧宅を買い取り、革命勢力の拠点としていた。ユリウスとも面識があり、その美貌と立ち居振る舞いでユリウスを圧倒した唯一の女性である。カーニバルの時に負傷したユリウスの手当てをしたこともある。 革命勢力が分裂した後は、メンシェビキの活動家として、レーニンらボリシェビキの行動を批判するが、成長したアレクセイはボリシェヴィキに共鳴して彼女の元を去る。第一次ロシア革命時、アレクセイを追ってモスクワにまでやってくるものの、皮肉にもアレクセイが携わった爆破工作の犠牲となって死亡(1905年12月)。 ヴァシリーサ・ミハイロヴァ(ミハイロヴァ夫人) ドミートリィ、アレクセイの祖母(彼等兄弟の父親の母親)。 一見気難しく、頑固で厳しい性格にも見え、庶子であったアレクセイとの初対面時から嫌味を言い放つ面もあったが、心の底では二人の孫を大事に思っている。しかし、二人とも兄弟して革命運動に関与し、皇帝に対する反逆の罪に問われてしまったことから、体面上は彼等を許していない、という態度を採り続けた。一方で、冷たい態度を取りながらも、隠れて一人アレクセイの身を案じ涙し、また、アレクセイの子を身ごもったユリウスを引き取るなど、陰ながらアレクセイを支え続けた。しかし、アレクセイに横恋慕したシューラが、復讐のため民衆を扇動、革命騒動のさなか、ミハイロフ邸を襲撃する暴動に襲われ、民衆の手によって惨殺される。この時も、最後までユリウスの身を案じ、いち早く逃げるよう示唆していた。 オークネフ ミハイロフ家に昔から仕える執事。 誠実で優しい性格で、特にアレクセイに対しては、ミハイロヴァ夫人に捨てられてしまったアレクセイの母の肖像のロケットを、こっそり拾ってアレクセイに渡すなど、邸に引き取られる時点から味方になって温かく見守っていた。アレクセイが亡命によって姿を消したのちも「アレクセイぼっちゃま」と呼び、表面上は冷たい態度を採るミハイロヴァ夫人からたしなめられる程に、常にその身を案じていた。ミハイロフ邸が襲撃を受けた暴動の際に、ミハイロヴァ夫人とともにその犠牲になった。
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