ミハイロフスキー宮殿とは? わかりやすく解説

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ミハイロフスキー‐きゅうでん【ミハイロフスキー宮殿】

読み方:みはいろふすきーきゅうでん

Mikhaylovskiy dvoretsМихайловский дворец》⇒ミハイロフ宮殿


ミハイロフスキー宮殿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/10 09:15 UTC 版)

ロシア美術館」の記事における「ミハイロフスキー宮殿」の解説

ロシア美術館本館であるミハイロフスキー宮殿は、パーヴェル1世が第4皇子ミハイル大公のために建設計画した宮殿である。設計イタリア人建築家カリオ・ロッシによって行われたロッシは、宮殿設計当たって細微渡り自ら吟味した内装に関して時代変遷によって大きくアレンジ施されたが、18本のコリント式列柱により、華麗なアンピール様式をもつメインエントランスホールは当時のままであるミハイル大公時代には、サンクトペテルブルクにおける宮廷文化の中心地一角占めていて、大公薨去後も、寡婦となったエレーナ大公妃主宰文芸音楽サロン開かれ、これが契機となり、ロシア音楽友の会発足を見る。ロシア音楽友の会は、ロシアにおける最初音楽学校評価されている。大公妃薨去した後は、帝国政府売却された。 ロシア皇帝アレクサンドル3世は、かねてより新たな美術館建設構想持っていたが、1894年崩御し皇太子ニコライ・アレクサンドロヴィチ大公即位しニコライ2世となった1895年4月13日ニコライ2世は、ミハイロフスキー宮殿をして新たなロシア造形芸術美術館とし故先帝奉ずる勅令発布した。ミハイロフスキー宮殿を美術館改修したのは建築家のウラジーミル・スヴィニインである。1898年3月7日、ミハイロフスキー宮殿の改修終了し美術館として再出発した

※この「ミハイロフスキー宮殿」の解説は、「ロシア美術館」の解説の一部です。
「ミハイロフスキー宮殿」を含む「ロシア美術館」の記事については、「ロシア美術館」の概要を参照ください。

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