マレー半島作戦とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > マレー半島作戦の意味・解説 

マレー半島作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 15:14 UTC 版)

マレー作戦」の記事における「マレー半島作戦」の解説

1941年12月8日第25軍司令官山下奉文中将シンゴラ上陸して戦闘司令所を開設して作戦指導当たっていたが、第五師団アロルスター占領する16日同地司令所を推進してケダー平地作戦指導した作戦初期指導主眼は、各部隊ペラク河の橋梁確保目的突進させることにあったこのため河村部隊方面辻政信参謀が、安藤支隊方面朝枝繁春参謀第一線指導当たった第五師団主力シンゴラ上陸後佐伯部隊(佐伯静夫中佐)を国境に向かわせ、夜襲で敵を撃破し8日サダオ占領河村部隊河村参郎少将)は上陸後部隊集結図ってサダオ急進し国境突破準備をさせた。佐伯部隊は河村部隊指揮下に入り9日河村少将佐伯部隊に国境への突進命じ逐次サダオ歩兵第41連隊の半部を追及させ、敵陣地への攻撃始め11日午後8時20分ごろ敵はジットラ方向退却したが、その後方向より反撃もあり、12日午後5時30分ごろ英軍全面的に退却始めたまた、鉄道突進隊はシンゴラ上陸後停車場占領し押収列車8日午前5時20シンゴラ駅を出発して南進始めたが、タイ軍抗戦突進阻止され徒歩攻撃移った午後12時ごろタイ停戦したため列車前進途中鉄橋爆破されており、10日徒歩前進移った第五師団長からアロルスター突進して河村部隊戦闘支援するように指示され11日にケーテリー駅を奪取12日夜に河村部隊英軍敗退突進隊は追撃移り12日午前8時30分ごろアロー駅付近攻略続いてアロルスター方向残敵追撃した12日午後8時、第五師団長・松中将河村部隊アロルスター向かい突進命じる。13日午前11時ごろアロルスター達し一部の敵を撃破し占領した安藤支隊パタニおよびタペー上陸以来南進し、12月15日タイマレー国境突破し英領クロウ進入しその後戦闘続け23日カンポンボクメルバウ付近前進中に大きな爆発聞こえた安藤支隊到着前に攻撃目標にしていたペラク河の橋梁爆破されていた。 開戦時佛印からタイバンコクまで陸路進駐した近衛師団主力12月11日南方軍命令第25軍復帰することになり、第15軍タイ方面)と第25軍協議によって、先発隊として正木支隊支隊長は近衛歩兵第4連隊長・正木宣儀大佐)を編成した14日第25軍直轄となった正木支隊安藤支隊進路ベトンタイマレー国境部落)まで前進せよ命じられ17日ベトン到着した15日正木支隊クロウ以降安藤支隊分かれ、プキマタジャム(ペナン東南)に前進してペナン島攻略準備をするように命じられた。クロウ英軍ペナン退却したため、第25軍正木支隊ペナン攻略させるつもりだったが、18日すでにペナンからも撤退したという情報入り第五師団長はペナン歩兵約二個中隊をペナン派遣して正木支隊を待つように命じたペナン支隊19日午後4時30ペナン島占領したペナン島シンガポール島とともに最後まで死守されると考えられていた場所だったため、放棄されたのは予想外であった近衛師団17日以降さらに部隊主力正木支隊下に合流させ、12月21日から1月上旬の間、逐次マレー転進をはじめ第25軍復帰した

※この「マレー半島作戦」の解説は、「マレー作戦」の解説の一部です。
「マレー半島作戦」を含む「マレー作戦」の記事については、「マレー作戦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「マレー半島作戦」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「マレー半島作戦」の関連用語

マレー半島作戦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マレー半島作戦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのマレー作戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS