ポルシェ・910
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/14 12:52 UTC 版)
ポルシェ・910 | |
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ボディ | |
ボディタイプ | 2ドア クーペ |
駆動方式 | MR |
パワートレイン | |
エンジン | ポルシェ901/21型1,991cc空冷水平対向6気筒SOHC ポルシェ771/1型2,195cc空冷水平対向8気筒DOHC |
変速機 | 5速MT |
前 | 前 ダブルウィッシュボーン 後 上Iアーム/下逆Aアーム、ツインラジアスアーム |
後 | 前 ダブルウィッシュボーン 後 上Iアーム/下逆Aアーム、ツインラジアスアーム |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,300 mm |
全長 | 4,100 mm |
全幅 | 1,710 mm |
全高 | 980 mm |
車両重量 | 575 kg |
その他 | |
エンジン出力 | 270馬力 (771型) |
系譜 | |
先代 | ポルシェ・906 |
後継 | ポルシェ・907 |
ポルシェ910(Porsche 910 )はFIA規定のグループ6用に開発され、1967年にデビューしたプロトタイプレーシングカーである。別称カレラ10(Carrera 10 )。
概要
1966年シーズンを戦った906の発展モデルであり、フェルディナント・ピエヒ率いるデザインチームが改良を行った。車輌カテゴリはグループ4スポーツカーからグループ6スポーツプロトタイプに変わり、ワークス用として28台が製作された。品質管理上レースごとに新車を使う方針だったため、使用後はオーバーホールされ各国のプライベーターに放出された。
ポルシェのレーシングスポーツは904(1964年)→906(1966年)→910(1967年)→907(1967年)→908(1968年)→909(1968年)という順に開発されたが、910のイレギュラーなタイプナンバーについて明確な説明はない。ヒルクライム用マシン、オロン・ヴィラール・スパイダーのシャシ番号"906-010"からきたのではないかという説もある[1]。
エンジン
エンジンは906と同じく1,991cc6気筒と2,195cc8気筒の2タイプがある。ともにボッシュ製の機械式燃料噴射装置を採用している。
- 901/21型
- 強制空冷式水平対向6気筒1,991ccエンジン。市販車911の901型がベース。チェーン駆動SOHC2バルブ、燃料噴射装置はアクセル開度に対応する。最高出力220馬力/8,000rpm。排気管は左右2本。
- 771/1型
- 強制空冷式水平対向8気筒2,195ccエンジン。ギア駆動DOHC2バルブ、燃料噴射装置はアクセル開度とエンジン回転数に対応し、燃費性能が向上している。最高出力270馬力/8,600rpm。排気管は中央1本。
シャーシ
鋼管スペースフレームは軽量化と捻れ剛性の向上を図った。ホイールが15inから13inに小径化し、センターロック方式のマグネシウム製ホイールを採用した。シーズン中、ブレーキをベンチレーテッドディスクに変更した。
ボディー
外観は906のフォルムを踏襲しているが、以下の変更点がある。
- 中央が尖ったノーズ。
- ノーズ左右のスポイラーを廃止。
- ホイールの小径化により、膨らみが低くなったフェンダー。
- 丸みを帯びたヘッドライトカバー。
- ガルウィングドアの廃止。完全に締め切らないまま走行すると風圧で脱落したケースがあったため、斜め前方へスライドする方式に改めた。
- ルーフパネルが着脱式となり、オープン仕様も選べるようになった。
- リヤカウルがトンネルバック形状になった。
レース戦績
スポーツカー世界選手権
1966年のヒルクライムレースより先行投入され、1967年のスポーツカー世界選手権開幕戦デイトナ24時間レースで本格デビュー。第5戦タルガ・フローリオより8気筒エンジンの910/8を投入し、ロルフ・シュトメレン/ポール・ホーキンス組が総合優勝。6気筒の910/6が2位・3位を占め表彰台を独占した。
第6戦ニュルブルクリンク1000kmでも910/6が1から3位を独占。ウド・シュッツ/ジョー・ブゼッタ組のドライブにより、ドイツ車として地元初勝利を達成した。
マニュファクチャラーズ選手権において、ポルシェは第7戦終了までに32点を獲得(上位5戦有効得点制)。4リットルマシンを使うフェラーリを1点リードしていた。タイトル決定戦となるBOAC500マイルレースでは、ブルース・マクラーレンやグラハム・ヒルも助っ人として910/8をドライブした(日本の生沢徹もリザーブ登録された)。
レースではジョー・シフェール / ブルース・マクラーレン組の910/8が、クリス・エイモン / ジャッキー・スチュワート組のフェラーリ330P4と2位を争ったが、ブレーキパッド交換のタイムロスで3位に終わり、ポイントを逆転され選手権初制覇は成らなかった。
日本での活躍
1968年の'68日本GPにタキ・レーシングが購入した910/6が出場し、生沢のドライブで総合2位に入賞した。翌年の'69日本GPでは風戸裕がGP-IIクラス最高の8位。風戸は翌年にかけて国内レースで連勝し、全日本IIクラスチャンピオンとなった。その後オーナーが代わりながら、1977年まで国内レースに出場した。
シャシ番号910-012の個体はレストアされ、2008年10月25・26日にツインリンクもてぎで開催された「ヒストリック・オートモービル・フェスティバル2008」に登場し、生沢が40年ぶりにステアリングを握った[2]。
脚注
- ^ 檜垣 『ポルシェ906/910/907/908/917』、p40。
- ^ ホビダス イベント 「もちろんアトラクションも盛りだくさんでした!(その1)」
参考文献
- 檜垣和夫 『ポルシェ906/910/907/908/917』 二玄社<SPORTCAR PROFILE SERIES 1>、2006年
- 『PORSHE FILE』 スタジオタック・クリエイティブ、1997年
関連項目
「ポルシェ 910」の例文・使い方・用例・文例
- 女性が店で2,3品物を買って赤いポルシェで走り去った
- 彼女はホテルの外にポルシェを止めた
- ポルシェ911カブリオレ
- 彼は車を2台持っていて、1台はベンツで、もう1台はポルシェだ。
- 貧乏人のポルシェ 《他社製の, ポルシェより廉価なスポーツカー》.
- 新しいポルシェに試乗したいと思う
- ちょうど50年前の1955年9月30日,アメリカの人気俳優ジェームズ・ディーンさんがポルシェのスポーツカーを運転中,カリフォルニア州で自動車事故に遭(あ)い死亡した。
- ドイツはポルシェやBMV,メルセデス・ベンツなどの自動車ブランドで有名です。
- (在位1910‐36).
- パンチョ・ヴィヤにより北メキシコで、またエミリアーノ・サパタにより南メキシコで先導された農地改革のための革命(1910年−1911年)
- 膝下で非常に狭くなっている長いスカートで1910年から1914年にかけて着用された
- 機械時代のエネルギーと価値を表現しようとした1910年頃のイタリアの芸術運動
- カナダ北西部の地域で1896年に金が発見されたが1910年には取り尽くされてしまった
- 日本の属国としての韓国の名前(1910年−1945年)
- 米国の作曲家(1910年−1981年)
- ドイツのアドルフ・ヒットラーの愛人(1910年−1945年)
- 米国の作家、ユーモアのある人で、トム・ソーヤとハックルベリー・フィンに関する彼の小説によってよく知られている(1835年−1910年)
- 米国の飛行士で、数々の速度記録を持ち、第二次世界大戦では女性の空軍パイロットを率いた(1910年−1980年)
- フランスの深海探検者(1910年生まれ)
- 1866年にクリスチャン・サイエンスを設立(1821年−1910年)
固有名詞の分類
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