フェルディナント・ピエヒとは? わかりやすく解説

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フェルディナント・ピエヒ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/19 01:36 UTC 版)

フェルディナント・ピエヒ

フェルディナント・カール・ピエヒFerdinand Karl Piëch,1937年4月17日 - 2019年8月25日[1])は、オーストリアの技術者、経営者。ウィーン生まれ。

ポルシェアウディで活動の後、フォルクスワーゲン取締役会会長を経て、2015年4月25日まで、同社監査役会長。ポルシェの大株主として、またオーストリアにおけるフォルクスワーゲン販売会社の大株主として、両社株式のそれぞれ10 %以上を保有していた。

人物

母は、名作フォルクスワーゲン・ビートル等を手掛け、戦後ポルシェを創業したフェルディナント・ポルシェの娘、ルイーゼ・ピエヒ。父はフェルディナントのビジネス・パートナーだった弁護士アントン・ピエヒ(ドイツ語: Anton Piëch

技術者・経営者として精力的に活動するが、性格は風変わりで刺々しく、自動車一族であるポルシェ家の他のメンバーとの関係も良好ではないとされる[2]。私生活では、4人の女性との間に13人の子供を持つ。

極端なマスコミ嫌いで、華々しく活躍した経営者でありながら大手メディアには殆ど登場しない。日本で単独インタビューに成功したのは自動車専門誌のカーグラフィック(2000年10月号)と日刊工業新聞(2001年3月27日付)だけとされている。

経歴

当初、ロケット航空機に興味を持っていたピエヒは、チューリッヒ工科大学修士号を修得した。1963年、一族が支配するポルシェに入社しポルシェ・904908910917の設計に携わるなど技術者として活躍していた。この時代のフォルクスワーゲンとの関わりでは、ビートルの後継車として開発されていたEA266の開発責任者がピエヒであった。しかし、同族経営の弊害を防ぐために一族を役員から排除する内規が制定されたことに伴い、退社した(従兄弟のフェルディナント・アレクサンダー・ポルシェポルシェデザインを設立し独立したのも、同じ理由から)。ポルシェ退社後はダイムラー・ベンツコンサルタントを務め、直列5気筒エンジンの研究を行っていた。

1972年アウディに開発担当重役として移籍し、4WDシステム『クワトロ』を開発、アウディ・クワトロによりWRC総合優勝などの業績を残した。また直列5気筒ターボエンジン空力重視のデザイン、アルミボディの開発など、他のメーカーが二の足を踏む中で強烈な独自性を発揮し、同社を躍進させた結果、1988年に同社取締役会会長に就任した。

アウディと同じ直列5気筒エンジンを縦置きする前輪駆動ホンダ・インスパイアが登場した1989年には、同車に試乗する目的のみで来日。試乗に同乗したフリーランスライターの河原良雄氏によると、ピエヒはトラクション性能を確かめるために周辺道路で加減を繰り返した後、「回転はスムーズだし、振動もよく抑え込んでる。ホンダはいい仕事をした」と語ったという。また、「5気筒は必要ですか?」という河原氏の質問に対しては、「6気筒の方が良いに決まってるだろう。5気筒はエンジニアの意地だよ」と答えている。[3]

1993年フォルクスワーゲン・グループの中核企業で、アウディの親会社に当るフォルクスワーゲンの会長に就任し、2002年まで同職を務めた。その間、同グループの高級化路線を推し進め、ベントレーランボルギーニブガッティといった高級スポーツカーメーカーやブランドを次々と買収した。

2002年ベルント・ピシェッツリーダーに取締役会会長を譲り、監査役会会長に退いた。同年ヴィルヘルム・エクスナー・メダル受賞。

2015年4月25日、ピエヒは監査役会会長職を突如辞任した。マルティン・ヴィンターコルンCEOの任期を巡り他の役員らと対立して孤立していたという[4]

2019年8月25日、ビルトの報道によると、南部バイエルン州のレストランで倒れ、病院に搬送の後、死去。82歳没[5]

自動車一族

ピエヒ家はポルシェ家の女系の傍流にあたり、両家併せてフォルクスワーゲン・グループを支配している。総資産は4000億米ドル以上[6]とされる。

関連項目

脚注





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