フェルディナント・ピエヒ招聘と「クワトロ」とは? わかりやすく解説

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フェルディナント・ピエヒ招聘と「クワトロ」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 18:43 UTC 版)

アウトウニオン」の記事における「フェルディナント・ピエヒ招聘と「クワトロ」」の解説

1970年代後半アウディ技術担当責任者フェルディナント・ピエヒ迎えられる。彼はフェルディナント・ポルシェの孫で、これまでポルシェのレーシングマシンの開発に関わっていた。このピエヒが収まった開発部門は、後に自動車業界全体大きな刺激となる革新的技術続々生み出すことになる。 その手始めとして、1980年サロン・アンテルナショナル・ド・ロト自動車技術史に残るフルタイム四輪駆動システムクワトロ」とその搭載車アウディ・クワトロデビューする80ベースブリスターフェンダー採用など外観改良搭載エンジン200ターボエンジンベースインタークーラー装着し、200PS/5,500rpm、29.1kgm/3,500rpmという高出力発揮したそれまで4輪駆動車2輪駆動との切り替え式である「パートタイム式」が一般的で、使用目的もっぱら悪路低速走行する場合備えた駆動力確保であった。「アウディ・クワトロ」の場合強力なエンジン出力四輪分散させることで、悪路・良路の別なく、ラリー走行レベル高速域まで常に確実な駆動力を得ることを狙ったのが特徴で、これを前提センター・デフ内蔵フルタイム式とした事でも注目集めたのみならず1981年から世界ラリー選手権WRC)に参戦して実際に多く勝利を重ねラリー界に大きなショック与えたクワトロ出現以来WRCでの勝利には四輪駆動不可欠、という考え方常識化した。 なお、川崎重工業1972年ロータリーエンジンライセンス契約結んでいる。

※この「フェルディナント・ピエヒ招聘と「クワトロ」」の解説は、「アウトウニオン」の解説の一部です。
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