ポテンシャルエネルギー面とは? わかりやすく解説

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ポテンシャルエネルギー曲面

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/17 21:34 UTC 版)

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ポテンシャルエネルギー曲面(ポテンシャルエネルギーきょくめん、: potential energy surface, PES)とは、特定のパラメータ(原子のデカルト座標結合角二面角など)に対して系のエネルギーを表したものである。エネルギーは単一の座標の関数である場合もあれば、複数の座標の場合もある。座標が単一の場合はポテンシャルエネルギー曲線またはエネルギー断面英語版と呼ばれる。モース長距離ポテンシャルはその一例である。

地形とのアナロジーは理解の助けになる。2自由度系の例として二つの結合長を持つ系では、それぞれの結合長の値が基底面の平面座標にあたり、それらの関数であるエネルギーの値はその座標の高度を表している[1]

水分子のPES。エネルギーの最小値はO-H結合長 q1 = 0.0958 nm、H-O-H結合角 q2 = 104.5° にある。この配置が最適化された分子構造である。

PESの概念は化学や物理学の中でも理論的な領域で応用がある。例えば分子のエネルギーを最小化する形状を求めたり、化学反応の速度を計算するなど、原子からなる構造の特性を理論的に研究する上で有用である。

数学的定義と計算

ある原子の組の配置は原子位置を要素とするベクトル R によって記述される。ベクトル R は原子のデカルト座標の組として表してもいいし、原子間距離と結合角の組でも構わない。

系の全原子位置 R の関数として表したポテンシャルエネルギーの値を E(R) とする。前述のように地形とのアナロジーを用いると、E は地形面の高さにあたる。

原子位置の関数としてのPESを化学反応の研究に用いるには、考えられるすべての原子配列に対してエネルギーを計算しなければならない。特定の原子配列のエネルギーを計算する方法については計算化学の記事に譲り、ここでは E(R) を近似することでエネルギーと位置の関係についての情報を高い粒度で求める方法に重点を置く。

非常に単純な化学系や、原子間相互作用を簡略化した近似を用いる場合には、エネルギーを原子位置の関数として表す式を解析的に導くことも可能である。例として、H + H2 系におけるロンドンアイリングポランニー・佐藤ポテンシャルは3つのH-H原子間距離の関数である[2][3][4]

より複雑なシステムの場合、特定の原子配列に関するエネルギーの計算コストが高くなりすぎ、広範囲のPESを作れないことが多い。その場合はPES上の限られた点でのみ計算を行い、シェパード法英語版のような計算コストの低い補間法を用いてギャップを埋めていく方法がある[5]

応用

PESは分子構造と化学反応のダイナミクスを分析するための概念的なツールとなる。PES上に必要なだけ点を取って値の評価を行えば、位置に関するエネルギーの1次および2次導関数(それぞれ勾配曲率にあたる)に従ってそれらの点を分類することができる。勾配ゼロの点は停留点と呼ばれ、物理的に重要である。停留点のうちエネルギー最小の点は物理的に安定な化学種にあたり、鞍点遷移状態にあたる。遷移状態とは、反応物と生成物を結ぶ最低エネルギーの経路(反応座標)上でエネルギーが最大となる点を意味する。

引力的および斥力的な曲面

化学反応のポテンシャルエネルギー曲面には「引力的」と「斥力的」の区別がある。反応物の結合長が活性錯体になるとき伸びる量と、生成物の結合長が活性錯体のときから見て短くなった量を比べてどちらが大きいかによる分類である[6][7]A + B-C → A-B + C の型の反応では、新しく形成されたA-B結合の結合長変化が R*AB = R0ABRAB と定義される。ここで RAB は遷移状態の、R0AB は生成分子のA-B結合長を表す。同様に切断される結合の結合長変化が R*BC = RBCR0BC と定義される。R0BC は反応物分子のB-C結合長である[8]

発熱反応においては、R*AB > R*BC ならば反応物どうしが互いに近づくと遷移状態に達する。よってこのPESは「引力的」である。遷移状態を超えたのちもA-B結合長は減少し続けるので、解放された反応エネルギーの多くはA-B結合の振動エネルギーに変換される[8][9]。例としては銛打ち反応英語版K + Br2 → K-Br + Br がある。この反応では反応物どうしの長距離引力が原因となってK+ ••• Br ••• Br と近似できるような活性錯体が生まれる[8]。振動的に励起された生成分子は赤外線化学発光によって検出できる[10][11]

逆に R*AB < R*BC ならば、生成物が遠ざかることで遷移状態に達するため、斥力的なPESである[8][9]。反応 H + Cl2 → HCl + Cl は斥力的PESの例である。原子A(Hにあたる)がBやC(Clにあたる)より軽いこの反応では、反応エネルギーは主に生成物の並進運動のエネルギーとして放出される。F + H2 → HF + H のように原子AがBやCより重い反応になると、PESが斥力的であっても、放出されるエネルギーは振動と並進が混在している[8]

吸熱反応の場合、反応を引き起こすのに適したエネルギーの種類がPESの型によって決まる。引力的な曲面で反応を誘起するには反応物が持つ並進エネルギーが効果的であり、斥力的な曲面では反応物が振動的に励起されている方が効果的である[8]。後者の例として[12]HCl の全エネルギーが同じならば、F + HCl(v=1) → Cl + HF の反応は F + HCl(v=0) → Cl + HFよりも約5倍速い[13]

歴史

化学反応におけるポテンシャルエネルギー曲面の概念は、1913年にフランスの物理学者ルネ・マルスラン英語版によって最初に提案された[14]。初めてポテンシャルエネルギー曲面の半経験的計算が行われたのは1931年のことで、ヘンリー・アイリングマイケル・ポランニーH + H2反応について行った。アイリングは1935年にポテンシャルエネルギー曲面を用いて遷移状態理論における反応速度定数を計算した。

関連項目

  • エネルギー最小化英語版(または構造最適化)

脚注

  1. ^ Potential-energy (reaction) surface in Compendium of Chemical Terminology, 2nd ed. (the "Gold Book"). Compiled by A. D. McNaught and A. Wilkinson. Blackwell Scientific Publications, Oxford (1997)
  2. ^ Sato, S. (1955). “A New Method of Drawing the Potential Energy Surface”. Bulletin of the Chemical Society of Japan 28 (7): 450–453. doi:10.1246/bcsj.28.450. 
  3. ^ Keith J. Laidler, Chemical Kinetics (3rd ed., Harper & Row 1987) p.68-70 0-06-043862-2
  4. ^ Steinfeld J.I., Francisco J.S. and Hase W.L. Chemical Kinetics and Dynamics (2nd ed., Prentice-Hall 1998) p.201-2 ISBN 0-13-737123-3
  5. ^ Moving least-squares enhanced Shepard interpolation for the fast marching and string methods, Burger SK1, Liu Y, Sarkar U, Ayers PW, J Chem Phys. 2009 130(2) 024103. doi: 10.1063/1.2996579.
  6. ^ Attractive potential-energy surface in Compendium of Chemical Terminology, 2nd ed. (the "Gold Book"). Compiled by A. D. McNaught and A. Wilkinson. Blackwell Scientific Publications, Oxford (1997)
  7. ^ Repulsive potential-energy surface in Compendium of Chemical Terminology, 2nd ed. (the "Gold Book"). Compiled by A. D. McNaught and A. Wilkinson. Blackwell Scientific Publications, Oxford (1997)
  8. ^ a b c d e f Keith J. Laidler, Chemical Kinetics (3rd ed., Harper & Row 1987) p.461-8 0-06-043862-2
  9. ^ a b Steinfeld J.I., Francisco J.S. and Hase W.L. Chemical Kinetics and Dynamics (2nd ed., Prentice-Hall 1998) p.272-4 ISBN 0-13-737123-3
  10. ^ Steinfeld J.I., Francisco J.S. and Hase W.L. Chemical Kinetics and Dynamics (2nd ed., Prentice-Hall 1998) p.263 ISBN 0-13-737123-3
  11. ^ Atkins P. and de Paula J. Physical Chemistry (8th ed., W.H.Freeman 2006) p.886 ISBN 0-7167-8759-8
  12. ^ Here v is the vibratonal quantum number.
  13. ^ Atkins P. and de Paula J. Physical Chemistry (8th ed., W.H.Freeman 2006) p.889-890 ISBN 0-7167-8759-8
  14. ^ Computational Chemistry: Introduction to the Theory and Applications of Molecular and Quantum Mechanics Errol G. Lewars, 2nd ed. (Springer 2011) p.21 ISBN 978-9048138616

ポテンシャルエネルギー面

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/01 08:35 UTC 版)

遷移状態理論」の記事における「ポテンシャルエネルギー面」の解説

ポテンシャルエネルギー面の概念TST発展において非常に重要であった。この概念基礎1913年にルネ・マルセランによって築かれた。マルセランは、化学反応進行原子運動量と距離の座標を持つポテンシャルエネルギー面における点として記述できると理論化した。 1931年ヘンリー・アイリングマイケル・ポランニーは以下の反応対するポテンシャルエネルギー面を構築したこの面は、量子力学的原理ならびに振動周波数および解離エネルギー実験データに基づく3次元図である。 H + H2 → H2 + H アイリングポランニー構築から1年後、ハンス・ペルツァーとユージン・ウィグナーはポテンシャルエネルギー面上の反応進行をたどることによって重要な貢献行った。この成果重要性は、初めてポテンシャルエネルギー面における鞍点鞍部英語版))の概念議論されたことであった。彼らは反応速度鞍部を経る系の運動によって決定される、と結論付けた典型的には、律速点(最低鞍点)は初期基底状態と同じエネルギー面上位置している、と仮定されてきた。しかしながら最近半導体および絶縁体中で起こる過程についてはこれは誤っているかもしれないことが明らかにされた。これらの材料中では、初期励起状態が、初期基底状態面上鞍点よりも低い鞍点通過することができる。

※この「ポテンシャルエネルギー面」の解説は、「遷移状態理論」の解説の一部です。
「ポテンシャルエネルギー面」を含む「遷移状態理論」の記事については、「遷移状態理論」の概要を参照ください。

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