ホイットニー、ハッシー、ラウエルの証言
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「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「ホイットニー、ハッシー、ラウエルの証言」の解説
渡米調査団は、「天皇ノ身体」問題に関しては、次のような調査項目を携えてアメリカで調査に当たった。 〔10〕1946年2月13日の会談。(3)総司令部側が、草案を手交した時に、ホイットニーが「もしこの草案を受諾しないならば天皇のパースンを保障しない」と述べたと伝えられているが、このような事実があったのか。また、もしこれが事実であるとしても、それは、日本側に対する「圧力」としてであったのか。それとも国際情勢の緊迫性を強調したものであったのか。更にそれは、天皇の極東裁判への喚問問題と関係していたかどうか。 第18回制定委で報告された調査結果は、次のようなものであった。 ホイットニーはその〔高柳〕会長宛の書簡において、天皇の身体について言うたにしても、それは天皇制、天皇の身体が客観的に危険な状態にあることについて述べたのであったといっている。ハッシーはこう言っております。覚えていない、しかしそのときの危険な国際情勢を指してそういうことを言ったということは可能である。現にソ連その他はそのようなことを強調していた。そういうことをいったとしても、それは事実を指摘したものであって脅かしとは思わない。またその席にいた日本側の長谷川がそれを覚えていないというのは興味深いことではないか。 ラウエルはこう言っております。記憶していない。天皇制を維持し、天皇を傷つけまいということは、マ元帥の基本的な考えであった。連合国はしかし必ずしもそういう考えでなかったから、そうした事実から、新憲法草案を受け入れれば天皇の地位を強固にすることになるだろうという積極的な意味で言ったのではないかと思う。脅かしとして言うというようなことはないと思う。 — 高田元三郎委員からの渡米調査報告 高柳は帰国後、ラウエルから、2・13会談に関する米側記録の天皇に関する部分のコピーの提供を受けた。これらを受け、1961年9月、「憲法制定の経過に関する小委員会」は脅迫については「当時の司令部の側には脅迫の意思はなかった」と結論し、次の文言を「むすび」とする報告書を同月開催の憲法調査会第56回総会に提出した。 ただし意見のだいたい一致を見たところを総合すれば、次のとおりである。すなわち、原案が英文で日本政府に交付されたという否定しえない事実、更にたとえ日本の意思で受諾されたとはいえ、手足を縛られたに等しいポツダム宣言受諾に引き続く占領下においてこの憲法が制定されたということは明らかなのであるから、この面に関する限り、それを押し付けられ、強制されたものであるとすることも十分正当である。特に、日本側の受諾の相当大きな要因が、天皇制維持のためであったことも争えない事実である。ただ、それならば、それは全部が押し付けられ、強制されたといい切ることができるかといえば、当時の広範な国際環境ないし日本国内における世論なども十分分析、評価する必要もあり、さらに制定の段階において、いわゆる日本国民の意思も部分的に織り込まれたうえで、制定された憲法であるということも否定することはできないであろう。要するに、それらの点は、この報告書の全編を通じて、事実を事実として判読されることを期待する以外ない。 — 『憲法制定の経過に関する小委員会報告書』より また、『現行日本国憲法制定までの経過』を書きGHQを批判したウォードも、『憲法制定の経過に関する小委員会報告書』を見て高柳に書簡を寄せ、自分の論文は佐藤達夫の論文を唯一のソースとしており、他に根拠はないと言い、その後来日して高柳と会談した際には、「他のエヴィデンスの明らかになった現在なら、あのような記述はしなかった」と高柳に述べた。
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