ベックボガート & アピスとは? わかりやすく解説

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ベック・ボガート & アピス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/11 01:31 UTC 版)

ベック・ボガート & アピス
Beck, Bogert & Appice
ベック・ボガート & アピス(1973年)
基本情報
出身地 イギリス
ジャンル ハードロックブルース・ロック
活動期間 1972年 - 1974年
レーベル エピック・レコード
共同作業者 バニラ・ファッジカクタスジェフ・ベック・グループボクサー
メンバー ジェフ・ベック (G)
ティム・ボガート (B)
カーマイン・アピス (Ds)

ベック・ボガート & アピス (Beck, Bogert & AppiceBBA (BB&A)) は、ジェフ・ベックティム・ボガートカーマイン・アピスが結成したハードロックバンド

1972年から1974年まで活動し、当時は「最強のロック・トリオ」と呼ばれた[1]

歴史

結成まで

ジェフ・ベック・グループ時代のベック (G) 1968年
カクタス - 左端ボガート (B)、右端アピス (Ds) 1970年

このセッション企画が持ち上がったのは1969年ジェフ・ベックは当時「ジェフ・ベック・グループ」を率いていたが、「バニラ・ファッジ」で活動していたティム・ボガートカーマイン・アピスによる強力なリズム・セクションに衝撃を受ける。一方、ボガートとアピスは既にベックの才能を知っていたため、この話を聞いてセッションに招くことにした。この時、バニラ・ファッジはコカ・コーラ社の音楽を依頼されていたが、ギタリストのヴィンス・マーテルが怪我をしていたため、代役としてベックに参加を要請したのである。ニューヨークではレッド・ツェッペリンのメンバーなどを交えて一度だけのライブも行い、互いの力量を確かめ合った。その結果、ジェフ・ベック・グループのボーカリストであったロッド・スチュワートを加えた4人で新グループ結成に動くが、スチュワートは「フェイセズ」に加入してしまい、結局3人でバンドを始動することに決まる。

しかし11月2日、ベックは交通事故を起こして全治3か月の重傷を負ってしまう。この間にボガートとアピスは新バンド「カクタス」を結成してしまい、この3人でのバンド計画は流れてしまうことになる。これを受けてベックは回復後に第2期「ジェフ・ベック・グループ」を結成した。

バンド始動

そして1972年、カクタスと第2期ジェフ・ベック・グループが解散し、再びバンド結成の機運が訪れる。3人に加えてジェフ・ベック・グループのマックス・ミドルトン(キーボード)、『ジーザス・クライスト・スーパースター』のキム・ミルフォード(ボーカル)、以上5人でリハーサルを行い、ジェフ・ベック・グループ名義で8月1日よりツアーを開始。しかしミルフォードのステージパフォーマンスに不満を感じ解雇、第2期ジェフ・ベック・グループからボブ・テンチを呼びツアーを続けるが、ツアー終了後ミドルトンとテンチが脱退してしまう。

ポール・ロジャース招聘を図るもこれに失敗し、最終的にトリオ編成の「ベック・ボガート & アピス」として9月16日にスタートを切ることになった。10月、ヨーロッパ・ツアー。11月、アルバムのレコーディング。翌1973年2月、アルバム『ベック・ボガート & アピス』発売。その後、イギリス・ツアーを行った。

1973年5月に日本ツアーを行う。ツアーは5月14日 日本武道館、5月16日 名古屋市民会館、5月18日・19日 大阪厚生年金会館 とまわり、大阪公演の模様はライブ盤『ベック・ボガート & アピス・ライヴ・イン・ジャパン[2]として1973年10月21日にリリースされた。2013年には曲順を実際のセットリスト順に改めた40周年記念盤がリリースされた。しかし帰国後にボガートが交通事故で重傷を負ってツアーがキャンセル、夏になる頃には解散の噂が飛ぶようになる。

11月にバンドは2度目のヨーロッパ・ツアーを開始、ツアーは11月21日のフランス公演から始まった。クリスマス休暇をはさんでイギリス・ツアーが、1974年1月10日のニューカッスルから始まる。全部で15回のショーが行われ、ブライトンリーズリヴァプールシェフィールドブリストルロンドンスコットランドグラスゴーエディンバラでライブが行われた。ツアーは2月29日のエディンバラ、カレー・ピクチャー・ハウスで終了した[3]。その後にはニューオリンズのマルディグラ・フェスに出演している。

1974年1月26日にバンドはヨーロッパ・ツアーの一部としてレインボー・シアターでコンサートを行った。このコンサートは1974年9月9日にアメリカで『Rock Around the World』のタイトルを冠して全編が放送された。これはバンドによる最後の録音となり、セカンド・アルバム収録曲のプレビューともなった。このコンサートの様子は『At Last Rainbow』のタイトルで海賊盤としてリリースされている。「ユー・シュック・ミー」と「ブギー」を含んだメドレーは後に1991年のジェフ・ベック名義のコンピレーション・アルバム『ベッコロジー』に収録された[4]。『ベッコロジー』にはこの他にもセカンド・アルバム用とされる「Jizz Whizz」が収録されたほか、当時のBB&Aはもちろん、後述のCB&Aなどでもこの時期の楽曲が演奏されている。

セカンド・アルバムのセッションは1974年1月に行われたが、ベックとボガートの確執もあって完成には至らなかった。1974年5月18日、『ニュー・ミュージカル・エクスプレス』誌は「数週間にわたって囁かれてきた、BBAの解散が差し迫っているという噂はベーシストのティム・ボガートによって確認された」との記事を掲載した。『メロディ・メイカー』誌もバンドの解散に関する記事を掲載した[5]。バンドは2枚目のスタジオ・アルバム完成前に自然解散となった。

海賊盤『At Last Rainbow』収録曲
  1. "Laughin' Lady" (5:53)
  2. "Lady" (7:05)
  3. "Morning Dew" (12:22)
  4. "Superstition" (6:07)
  5. "(Get Ready) Your Lovemaker's Comin' Home" (7:40)
  6. "Blues De Luxe - You Shook me" (5:34)
  7. "Rainbow Boogie" (11:32)  ["BBA Boogie"]

その後、ボガートとアピスは、1999年にCharと共にChar, Bogert & Appice(CB&A)、翌2000年にリック・デリンジャーと共にDerringer, Bogert & Appice(DB&A)としての活動も行った。

メンバー

※リード・ボーカルはアピス、一部ボガート。「黒猫の叫び - Black Cat Moan」のみベック。

        
ジェフ・ベック(G) 1972年
ティム・ボガート(B) 1972年
カーマイン・アピス(Ds) 1972年
サポート・メンバー
  • キム・ミルフォード (Kim Milford) - ボーカル ※6公演に参加。1972年8月4日から7日まで、ベック、ボガート、アピスとジェフ・ベック・グループとして出演[6]。ミルフォードはダラスのマジェスティック劇場コンサート後にバンドを脱退。
  • ボブ・テンチ (Bobby Tench) - ボーカル ※13公演に参加。1972年8月8日から9月19日まで、ベック、ボガート、アピスとジェフ・ベック・グループとして出演[7]。テンチはシカゴのアリー・クラウン劇場コンサートからバンドに加わった。
  • マックス・ミドルトン (Max Middleton) - キーボード ※19公演に参加。ボブ・テンチと共に脱退。

ディスコグラフィ

スタジオ・アルバム

ライブ・アルバム

コンピレーション・アルバム

  • 『ベッコロジー』 - Beckology (1991年、Epic/Legacy) ※ジェフ・ベックの編集盤。BBAの楽曲を一部収録

ボックスセット

  • 『ライヴ・イン・ジャパン1973 / ライヴ・イン・ロンドン1974』 - Live in Japan 1973/Live in London 1974 (2023年、Atco/Rhino)

シングル

  • 「黒猫の叫び!」 "Black Cat Moan" / "Livin' Alone" (UK 1973年2月16日)
  • 「迷信」 "Superstition" / "Sweet Sweet Surrender" (日本 1973年)
  • "I'm So Proud" / "Oh to Love You" (US 1973年5月28日)
  • "Lady" / "Oh to Love You" (US 1973年7月16日)

脚注

  1. ^ BB&Aプロフィール - Sony Music
  2. ^ Stephen Thomas Erlewine. “Review of Live (in Japan)”. allmusic.com. 2009年2月14日閲覧。
  3. ^ Hjort and Hinman. Jeff's book: A Chronology of Jeff Beck's Career 1965-1980. pp. 146 and 147-148 
  4. ^ Bruce Eder. “Beckology”. Allmusic.com. 2009年2月16日閲覧。
  5. ^ Hjort and Hinman. Jeff's book: A Chronology of Jeff Beck's Career 1965-1980. pp. 149 and 151 
  6. ^ Hjort and Hinman. Jeff's book: A Chronology of Jeff Beck's Career 1965-1980. p. 123 
  7. ^ Hjort and Hinman. Jeff's book: A Chronology of Jeff Beck's Career 1965-1980. p. 123,124 
  8. ^ Whitburn, Joel (2018). Top Pop Albums 1955-2016. Prometheus Global Media. ISBN 978-0-89820-226-7 

参照

  • Hjort, Chris and Hinman, Doug. Jeff's book : A chronology of Jeff Beck's career 1965-1980 : from the Yardbirds to Jazz-Rock. Rock 'n' Roll Research Press, (2000). ISBN 0-9641005-3-3
  • Carson, Annette. Jeff Beck: Crazy Fingers. Backbeat books (2002) ISBN 0-87930-632-7

外部リンク


ベック・ボガート & アピス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 10:05 UTC 版)

カーマイン・アピス」の記事における「ベック・ボガート & アピス」の解説

1973年ベックは、コージー・パウエル参加していた第二期ジェフ・ベックグループメンバー入れ替え行い、ベック・ボガート & アピス(以下BBA)を結成しアルバム『ベック・ボガート & アピス』を発表同年5月来日果たし大阪厚生年金ホール他3箇所コンサートを行う。BBAライブ音源ベック意向によりお蔵入りしており、1975年になってアルバムベック・ボガート & アピス・ライヴ・イン・ジャパン』として日本のみで発売された。 ベックベースライン徹せず前に出てくるボガート演奏に不満を持ち殴り合い喧嘩及んだこともあった。その後ボガートバイク事故遭い復帰後にボガートアピスだけディープパープルコンサート飛び入り参加するなど、ベックとの別行動が目立つようになり、BBAは自然消滅する

※この「ベック・ボガート & アピス」の解説は、「カーマイン・アピス」の解説の一部です。
「ベック・ボガート & アピス」を含む「カーマイン・アピス」の記事については、「カーマイン・アピス」の概要を参照ください。

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