ベック後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 18:43 UTC 版)
「ロンドン地下鉄路線図」の記事における「ベック後」の解説
1960年まで、ベックはロンドン地下鉄の広報担当ハロルド・ハッチンソン(英語版)(Harold Hutchinson) と不和だった。ハッチンソンはデザイナーではなかったが、1960年にロンドン地下鉄路線図の彼独自の版を作成した。それはベックのデザインにおける滑らかな角を取り去り、いくつかの窮屈な区域(例えばリバプール・ストリート駅周辺)を作り出し、さらに多くの路線が直線でなくなった。ハッチンソンはまた、複数路線を通すことができる黒い乗換駅の記号(地下鉄のみの場合は円、イギリス国鉄との乗換駅は四角)を導入した。それは、乗換駅では1つの円を1つの路線に配置しその路線の色に配色したベックのスタイルとは異なるものだった。 1964年、路線図のデザインはポール・ガルバット (Paul Garbutt) に引き継がれた。彼はハッチンソンのデザインが気に入らず、ベックと同様に余暇時間で路線図を作成した。ガルバットの路線図は、カーブと湾曲部を復活させたが、ハッチンソンの乗換駅を示す黒い円は残した(しかし四角は網掛けされた円に置き換えられた)。ガルバットはその後少なくとも20年間、路線図の作成を続けた。ロンドン地下鉄路線図は、1986年にデザイナーの名前を表示することを止めた。このときまでに、路線図は現在のものにかなり近付いていた。現在の路線図の右下角には、「このダイアグラムは、1931年にハリー・ベックが考案したオリジナル・デザインの発展形である」という説明が表示されている。
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