ヘロドトスとトゥキュディデス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 07:27 UTC 版)
「ヘロドトス」の記事における「ヘロドトスとトゥキュディデス」の解説
こうしたヘロドトスへの批判とも関連してしばしば比較されるのが、同じく古代ギリシアの偉大な歴史家として知られるトゥキュディデスである。トゥキュディデスはその「実証的」な著述姿勢で名高く、使用する史料の選別を厳密に行う人物であった。トゥキュディデスはヘロドトスに対する最初期の批判者であるかもしれず、その著作『歴史(または戦史)』において、以下のような一連の文章を書いている。 かくして往古の状況は、私の究明したところでは以上のようなものであったが、しかし証拠の各々を次々に信じることは困難である。それというのも、自国のことであっても、過去の事件となると、その風説を人々は遠国の場合と同様に、無批判に受け容れあうものだからである。(中略)真相の究明(ゼーテーシス)は多くの人々にとってかくも安易なものであって、むしろ俗説に走りやすいのである。(中略)そして決して詩人たちが事件について誇張して賛美しているものとか、物語的史家たちが真相よりも耳に訴えることを目指して述作したものの方を信じてはならない。これらの史家の物語ることは検証不可能であり、その大部分は時間の経過故に物語的要素に圧倒されており、信じがたいのである。(中略)他方、戦争中に為されたことの事実については、偶然に出会った人から聞いたとおりに、また自分の思われたとおりに、記述すべきではなく、自分が遭遇して目撃した場合でも、また他人から聞いた場合でも、その各々について可能な限り厳密に検討した上で書くべきだと考えた。ところが、それぞれの事件に遭遇した人々でも、同一の事件について同一のことを語らず、各人の両者(引用注:アテナイとスパルタ)いずれかに対する好意や記憶の程度によって相違したから、事実の確認には苦労を重ねた。それゆえ本書は物語めいていないので、恐らく聴いて余り面白くないと感じられるであろう。(中略)これは一時の聴衆の喝采を争うためではなく、永遠の財産として書きまとめられたものである。 —トゥキュディデス、『歴史』巻1§20-23、藤縄訳。 これらはヘロドトスの執筆姿勢に対する批判を試みたものであるとも考えられる。トゥキュディデスはヘロドトスが使用した「ヒストリエー」(調査・探求)ではなく、「ゼーテーシス」(追求・究明)という用語を採用した。それがヘロドトスに対する批判的姿勢の現れであるか、先人をはばかったものであるのか見解は分かれるが、いずれにせよヘロドトスを意識した結果であろう。 また、ヘロドトスがしばしば1人称で語るのに対し、トゥキュディデスは客観性を重視してか3人称による記述を徹底しており、自らが直接関わった事件についても3人称で記述している。このようなトゥキュディデスの執筆姿勢は、伝統的に厳密・公正・客観的であるという高い評価がされており、ヘロドトスが「歴史の父」とされるのに対し、近代にはトゥキュディデスは「実証的歴史学の父」「科学的歴史学の祖」と呼ばれたりもするようになった。 古代において、この「実証的な」トゥキュディデスに比べ、ヘロドトスの評価はかなり厳しいものであったと見られる。しかしこうした評価は今日ではかなり変化している。なぜならば、ヘロドトスがしばしば情報の出所や、情報の種類(伝聞であるか、目撃したものか、推論か)を読者に提供し、また複数の異説を併置して判断を委ねるのに対し、トゥキュディデスは通常こうした情報源自体を読者に提供することはなく、彼自身が複数の情報を取捨選択してたどりついた「真実」のみを提供している場合が多いためである。これは、結論にたどり着くまでの情報の出所を確認し、複数の情報を比較して信頼性を検討して結論の裏付けを行うという、現代の歴史学の基本において「実証的」であると言えるわけではない。このため、現代では実証的なトゥキュディデスとそうではないヘロドトスという対比は必ずしも行われない。
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