ヘロドトスによる記述
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「フラオルテス」の記事における「ヘロドトスによる記述」の解説
フラオルテスはキュアクサレの息子であり、エクバタナでの即位後すぐにペルシア人に対して遠征を行い、これを服属させた。ペルシア人はメディア王国の中で特権を与えられた。ヘロドトスによれば「メディアとペルシアという二つの強大な部族を従え、フラオルテスは全アジアを支配した」という。 フラオルテスはアッシリアを攻撃して敗死した。その後メディアは28年にわたりスキタイ人の支配を受けた。ヘロドトスによれば、フラオルテスは22年間在位したというが、当時の楔形文字史料にこれを裏付けるものは無い。
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ヘロドトスによる記述
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ヘロドトスが『歴史』に書き残したところによれば、アリュアッテスの率いるリュディアとキュアクサレス2世の率いるメディアが行った戦争は決着がつかないまま5年続いたが、6年目のある戦いにおいて辺りが突然暗くなったことから停戦に至り、平和条約の締結を交渉することになったという。ヘロドトスはそれがタレスによって予測されていた日食だったと述べるが、戦いがどこで行われたのかについては言及していない。 その後、キュアクサレスがそれらのスキュタイ人の引き渡しを要求したのに、アリュアッテスが応じなかったので、リュディアとメディアの間に戦争が起り五年に及んだが、この間勝敗はしばしば処をかえた。ある時などは一種の夜戦を戦ったこともあった。戦争は互角に進んで六年目に入った時のことである。ある合戦の折、戦いさなかに突然真昼から夜になってしまった。この時の日の転換は、ミレトスのタレスが、現にその転換の起った年まで正確に挙げてイオニアの人々に預言していたことであった。リュディア、メディア両軍とも、昼が夜に変わったのを見ると戦いをやめ、双方ともいやが上に和平を急ぐ気持になった。 — ヘロドトス『歴史』第1巻第74節(松平千秋訳) 平和条約の条項には、アリュアッテスの娘アリュエニスをキュアクサレスの息子アステュアゲスに嫁がせること、両国の国境をハリュス川(現在のクズルウルマク川)で画定することが含まれていた。 キケロは、タレスこそが日食の予測に成功した最初の人で、それはアステュアゲスの時代のことだったと述べている。アステュアゲスはキュアクサレスの死後に王位を継いだのであり、戦争が終わった後のことである。大プリニウスもまた、タレスがアリュアッテスの時代に日食を予測したと述べている。
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