最初期の利用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/27 01:48 UTC 版)
アルミニウムの歴史は明礬の使用で始まった。明礬の記述が最初に文書に残されたのは、紀元前5世紀の古代ギリシア歴史家ヘロドトスによる記述だった。古代人にとって、明礬は媒染剤、薬、そして(要塞を敵の放火から守るための)木の防火塗料であり、ウェットエッチングにも使用した。しかし、金属アルミニウムは知られていなかった。ローマ帝国の歴史家ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)は銀と同程度に明るいが遥かに軽い金属に関する逸話を記録している。この金属は皇帝ティベリウス(在位:14年 - 37年)に提出されたが、ティベリウスは自身の金銀財宝の価値が下がらないようその金属の発見者を殺害させたという。一部の文献はこの金属がアルミニウムだった可能性を示唆したが、異説もある。中国では晋の代にアルミニウムを含む合金を作成した可能性がある。 十字軍以降、明礬は国際貿易の商品の1つになり、ヨーロッパの織物業では欠かせない存在になった。明礬は15世紀中期にオスマン帝国が輸出関税を大幅に上げるまで、地中海東部からヨーロッパに輸出された。ローマ教皇ピウス2世を名付け親としたジョヴァンニ・ダ・カストロ(Giovanni da Castro)が1460年にローマ近くのトルファで埋蔵量の多い明礬鉱山を発見すると、彼は興奮してピウス2世に「今日はトルコ人に対する勝利をもたらします」と報告した。
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