最初期の土器とは? わかりやすく解説

最初期の土器

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:05 UTC 版)

中国の陶磁器」の記事における「最初期の土器」の解説

中国先史時代土器については未解明部分多く今後発掘調査結果によって歴史大きく書き換えられる可能性もある。2012年6月29日付の米国科学誌サイエンス』に北京大学らの研究チーム発表したところによれば、江西省上饒市万年県仙人遺跡から出土した土器片の一部は、放射性炭素年代測定により、約2万年前のものと判明したという。仙人洞のほか、初期土器出土した遺跡として、華南では広西壮族自治区桂林市甑皮岩遺跡華北では河北省保定市徐水区南荘頭遺跡など知られる。これらの遺跡出土土器は、放射線炭素年代測定熱ルミネセンス法により、いずれも約1万年前の製作とされている。仙人遺跡出土土器片は、復元すると丸底の壺形土器で、器表には縄文施され胎土には石英粒などを含んだ粗製土器である。この時期土器どのようにして焼いたかは正確に不明であるが、雲南省タイ王国などに残る民俗事例から類推して、「覆い焼き」という方法が行われたと推定されている。「覆い焼き」とは、成形乾燥させた土器周囲稲わら覆い、その上粘土密封してから点火するのである。 完器に復元され土器出土した初期遺跡として、華北では河北省武安市磁山遺跡河南省新鄭市の裴李崗(はいりこう遺跡(ともに紀元前7000年 - 前5000年頃)、華南では浙江省余姚市河姆渡(かぼと)遺跡紀元前5000年頃)などが知られる。これらの遺跡出土土器ロクロ用いず粘土巻き上げの手捏ねによる製品で、焼成温度おおむね700900程度とされる。磁山や裴李崗土器赤褐色の紅陶で、器表は入念に研磨されている。これらの遺跡文化では彩陶作られていない河姆渡土器黒褐色で、器表に動物文、植物文などの線刻を施すものや、漆を塗ったものもあるが、彩陶はやはり作られていない。裴李崗遺跡では中国最古級の窯跡検出されている。これは平面形が鍵穴形(柄鏡形ともいう)を呈する横穴式窯で、窯内の下部燃焼室上部焼成室を設け両者区切る簀子状の隔壁上に製品並べて焼いていた。こうした構造は、かなり進んだ段階のものであり、これより時代をさかのぼる初期的な窯の存在想定されるが、確認には至っていない。

※この「最初期の土器」の解説は、「中国の陶磁器」の解説の一部です。
「最初期の土器」を含む「中国の陶磁器」の記事については、「中国の陶磁器」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「最初期の土器」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「最初期の土器」の関連用語

最初期の土器のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



最初期の土器のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの中国の陶磁器 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS