最初期のルボーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 08:50 UTC 版)
ルボークの起源については不明な点が多いが、ヨーロッパでは15世紀前半には既に木版画など印刷された絵が流通しており、ドイツやオランダの行商人らが16世紀にはロシア北部の町ノヴゴロドにこうした絵を持ち込んでいたことが知られている。 最も初期のルボークとしては、ウクライナのキエフ洞窟修道院で無名の版画家が1619年から1624年に作成したイコン「聖母昇天祭」があげられる。これは1928年に線画研究家S.A.クレピコフ(С. А. Клепиков)が国立歴史博物館で発見したものであり、この他にもキエフ・リヴォフ印刷学校でパムヴォ・ベリンダ(Беринда Памво、?-1632年)が印刷した「神意に適う牢獄(1629年)」や、オランダ・ドイツなどの絵入り聖書を原本とする印刷物がつくられた。 これより遅れてモスクワでも1637年にヴァシーリー・ブルツォーフという者が版画入りの初等読本を出版した。17世紀半ばのアレクセイ時代には、紙に印刷されたイコンがモスクワの市場などで販売され、「ドイツの異端のイコンを街で売買してはならない」という御布令がモスクワ総主教から出されるほど広く受け入れられた。こうした中、17世紀の終わりにつくられたヴァシーリー・コーレニによる絵入りの聖書(1696年作)と黙示録(1692年-1696年)は、木版画特有の明確な線で描かれた人物等の描写や絵の構成といった点で18世紀の有名なルボーク「猫を埋葬するネズミたち」や「ヤガー婆さんとワニの争い」などと共通する特徴をもつため、コーレニをこれら初期ルボークの作者あるいはロシア・ルボークの父とみなす意見もある。 こうした初期のルボークは、いずれも宗教的な題材を扱いつつもイコンの様式からの逸脱がみられ、イコンがヨーロッパの木版画技術と融合し「ルボーク」という新たな表現が生まれつつあることを示唆するものであった。
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