最初期の35mm判スチルカメラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 17:39 UTC 版)
「135フィルム」の記事における「最初期の35mm判スチルカメラ」の解説
動画用35mmフィルムの標準はトーマス・エジソンの研究所でウィリアム・ケネディ・ローリー・ディクソンが確立した。ディクソンはジョージ・イーストマンのイーストマン・コダック社が供給する70mmフィルムを使用し、このフィルムを長さ方向に同じ幅(35mm)で2等分し、フィルムの端と端を貼り付けて長くし、フィルムの両側に巻き上げ用の穴を開けた。はじめの画像サイズは18×24mmで、現在スチル写真の『ハーフ判』とされているものである。動画の1フレームにつき両側に4つのパーフォレーションがある。 ライカ以前にもこの穴あき動画用フィルムを使う35mmスチルカメラが数多くあった。これ用の初の特許は1908年にイングランドのLeo, Audobard and Baradatが取得した。最初の量産カメラは1913年にジュール・リシャールが生産を始めたホメオスというステレオカメラだった。これはテッサーレンズ2本を装備し18×24mmのステレオ写真一組を撮るもので、1920年まで販売された。 知られている限りで初の35mm判(画面サイズ=24×36mm)カメラを試作したのは、1912年アメリカのジョージ・P・スミス(George P. Smith)である。初の市販35mmスチルカメラは、1913年に市場に現れたアメリカン・ツーリスト・マルチプルで、画面サイズはハーフ判、価格は当時175ドル(現在の貨幣価値に換算すれば今の3000ドルのライカとほぼ等価)だった。24×36mmのフルフレームを使った初の市販カメラは1914年にアメリカ市場に投入されたシンプレックスだったと思われる。このカメラは50フィート(15.2m)のロールフィルムを使いハーフ判800コマまたはフルフレーム400コマを撮った。 ベルリンのLevy-Roth社が発売したミニグラフもハーフ判の小型カメラで1915年にドイツで販売が始まった。35mm判のスチルと動画両用のDebrie Septカメラの特許は1918年に下りたが、市場投入は1922年になった。 1923年よりフランスで製造販売されたFuretカメラは、24×36mmのネガ写真用で現在のカメラと似た姿の初の安価な小型の35mm判カメラとなった。
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