最初の騎手
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 20:48 UTC 版)
「ポニー・エクスプレス」の記事における「最初の騎手」の解説
セントジョゼフを出発した最初の西行き騎手が誰だったかについては議論があるが、最近の歴史家達はジョニー・フライか"ビリー"・リチャードソン(ジョンソン・ウィリアム・リチャードソンの通称)のどちらかだったということで落ち着いてきている。二人ともセントジョゼフでA・E・ルイスが担当したセントジョゼフからカンザス州セネカまでの区間、距離にして80マイル (128 km) のために雇用された。彼らは乗り継ぎを含めて平均時速20.5マイル (33 km/h) で走り続けた。郵袋が最初の騎手に届けられる前に、儀式と幾つかのスピーチのための時間が取られた。まずセントジョゼフ市長M・ジェフ・トンプソンがセントジョゼフにとってのこの行事の重要性について短いスピーチを行った。続いてウィリアム・H・ラッセルとアレクサンダー・メジャーズが、ポニー・エクスプレスが如何に大陸横断鉄道建設のための「先駆け」になるかについて観客に向かって演説した。全てのスピーチが終わった午後7時15分頃にラッセルが最初の騎手に郵袋を手渡した。祝砲が放たれ、大勢の観衆が喝采を送り、騎手は渡し舟の待つジュールズ通りの外れにある乗船場に向かって駆け出した。そこでは合図の大砲で知らされ、ミズーリ川を越えてカンザス準州エルウッドに渡す船が馬と騎手を待っていた。4月9日午後6時45分、東部からの最初の騎手がユタ準州ソルトレイクシティに到着した。さらに4月12日午後2時半にネバダ準州カーソンシティに到着した。シエラネバダ山脈を越えた騎手がカリフォルニア州プラサービルを通過してサクラメントに到着し、1860年4月14日になる真夜中過ぎに最初の郵袋はサンフランシスコに配達された。 ジェイムズ・ランドールがサンフランシスコのアルタ電報局から最初の東行き騎手になったとされている。彼はサクラメントに向かう蒸気船アンテロープに乗船していた。ポニー・エクスプレスのための郵便は午後4時にサンフランシスコを出発し馬と騎手が水際まで運んでサクラメント行きの蒸気船に乗せ、そこでポニー・エクスプレスの騎手に引き継がれた。午前2時45分、ウィリアム・(サム)・ハミルトンがサクラメントから出発した最初の騎手になった。ハミルトンはスポーツマンホール駅まで進み、そこで郵便の詰まったモチラをウォーレン・アップソンに渡した。この地にあるカリフォルニア州登録歴史史跡の銘板には次のように書かれている。 ここはスポーツマンホール、別名12マイル・ハウスのあった場所である。このホテルは1850年代後半と1860年代にジョン・ブレアとジェイムズ・ブレアが運営していた。駅馬車やコムストックの牛車隊の中継点として陸路を行くポニー・エクスプレスの中継駅にもなった。1860年4月4日午前7時40分プラサービルから馬でやって来たポニーの騎手ウィリアム・(サム)・ハミルトンが郵袋をウォーレン・アップソンに手渡し、アップソンは2分後に東に向かって出発した。 — Plaque at Sportsman Hall
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