ヘレネ頌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/13 04:19 UTC 版)
ウィキソースに『ヘレネ頌』(ギリシャ語)の原文があります。 ゴルギアスや他のソフィストたちは、その著作の中で、行動の結果を表現するための枠組み、ならびにそのような行動の解決を生み出す方法としての「言語の構造と機能について」思索した。 そして、それこそがゴルギアスの『ヘレネ頌』の目的である。アリストテレスはその著書『弁論術』の中で論じた修辞学の3つの区分、すなわち法廷弁論・議会弁論・演示弁論のうち、『ヘレネ頌』は演示弁論に分類されうるもので、トロイのヘレネへの讃美を表し、ヘレネがパリスとスパルタから去ったことへの非難からヘレネを無罪放免にしている、と述べている。 ヘレネはギリシア人たちにとって性的な情熱と類い希なる美しさの両方の象徴であった。ヘレネはゼウスとレーダーの娘にしてスパルタ王妃で、その美しさはギリシアとトロイアとの10年に及ぶトロイア戦争の直接の原因となった。戦争の発端は、ヘーラー、アテーナー、アプロディーテーという女神たちが自分たちのうちで誰が一番美しいかをトロイアの王子パリスに尋ねたことだった。女神たちはパリスの決定に影響を与えようと試みたが、結局パリスが選んだのはアプロディーテーで、アプロディーテーはパリスに最も美しい人間の女性を約束した。それからパリスはギリシアに旅し、そこでヘレネとその夫メネラオスの歓迎を受ける。アプロディーテーの働きかけで、ヘレネはパリスからの駆け落ちの説得を受けてしまう。二人は一緒にトロイに行く。しかし『ヘレネ頌』の中では、戦争についても、ヘレネの不実を非難する一般受けの良い文学的な話も語られない。ゴルギアスが『ヘレネ頌』の中で突き止めたかったのは、ヘレネがどうしてパリスと駆け落ちしたかの一点だった。 『ヘレネ頌』の冒頭すぐのところで、ゴルギアスはこう述べている。「賞賛に値する男女、話、仕事、都市国家、行いには、人は讃美とともに光栄を与えねばならない。一方で値しないものには、人は非難を与えなければならない」 ゴルギアスは、ヘレネがトロイアに旅立った理由は何だったかを論じる。ヘレネをそうさせたものは次の4つのうちのどれかである。すなわち、神によってか、物理的な力によってか、愛によってか、もしくはロゴス(言葉、論理)によってか。もしヘレネをトロイアに向かわせたのが、神の企みだったとしたら、ヘレネを責める者は自分自身を責めねばならないと、ゴルギアスは主張する。「神の意志は人間の予想によって防ぐことは不可能なのだから」。生まれつき弱者は力に支配され、神々はあらゆる点で人間より強いのだから、ヘレネはそれまでの望ましくない評価から解放されなければならない。一方、もしヘレネが力づくで誘拐されたのなら、罪を冒したのは侵略者(パリス)であることは明らかである。したがって、非難されるのは、ヘレネではなく、彼でなければならない。次に、もしヘレネが愛によって説得されたのだとしたら、ヘレネはなおさらその汚名を免れなければならない。なぜなら、「もし愛・神・神々の愛の力なら、それより力の弱い者はそれを拒み、避けることができようか? しかし、もしそれが人間の病で魂の過失だとしても、罪として責めるべきでなく、むしろ不運と考えねばならない」。最後に、もし言葉がヘレネを説得したのだとしても、ゴルギアスはヘレネの非難を取り除くことは容易にできると言って、こう説明した。「言葉は偉大な支配者で、それは最も小さく・最も謎の多い肉体によって、最も神のごとき仕事を遂行する。なぜならそれは恐怖を止め、痛みをやわらげ、喜びを生み、慈悲を回りに作ることができるからである」。 『ヘレネ頌』はゴルギアスのパラドクソロギアの愛を明示する。『ヘレネ頌』の遂行的な性質は、話し手と聞き手、それに人を騙す話し手と聞き手の協力を当てにする人との相互関係を必要とする。 ゴルギアスは『ヘレネ頌』の最終章でこのパラドクス(逆説)を明らかにする。「私はこの話を、ヘレネ賛辞と私の気晴らしのために書きたかったのだ」。 付け加えると、もしゴルギアスのヘレネの汚名をすすぐ主張を受け入れる者がいるならば、それはヘレネに非難を向けたすべての文学的伝統にそっぽを向くことになる。これもまた逆説的である。
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