ビジネス経歴
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電力会社・保険会社での勤務を経て、1965年にスタンダード・チャータード銀行に入ると外国為替部門で頭角を現し、営業部長や会長秘書などに昇進した。
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ビジネス経歴
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1965年に大学を卒業後、学生運動の経歴により就職難に陥る。社員が数十人という零細企業だった現代建設の面接に辿り着くが、そこでも経歴に難色を示されると朴大統領に手紙を送るなど紆余曲折を経て入社する。赴任先のタイで強盗から金庫を命がけで守り鄭周永の薫陶を受ける。 1965年、現代建設は韓国初の海外建設事業となるタイのパタニ・ナラティワート (Pattani-Narathiwat) 高速道路建設契約を520万ドル規模で受注し、1968年3月に完了した。この事業は、韓国の建設産業にベトナムや中東など新しい海外市場の開拓を促進させた。李は新入社員であったがプロジェクトチームの一員としてタイに派遣され、帰国後ソウルの現代建設重機事業所に配属される。 1960年代、現代建設はベトナム建設需要の停滞により中東地域へ目を向け、アラブ造船、修理所、バーレーンのディプロマットホテルやサウジアラビアのジュベイル (Jubail) 工業港プロジェクトなど積極的に国際的なプロジェクトを手がける。当時、韓国の建設企業は100億ドル以上のプロジェクトを受注し、石油危機を克服することに貢献した。1965年の入社当時、従業員90人程であった現代建設は、27年後に会長職を離れた時は16万人規模の大企業として成長した。 1970年、現代建設在職中に金潤玉と結婚して1男3女をもうける。 当時の韓国とソビエト連邦間の国交正常化過程においても一定の役割を果たし、リー・クアンユー元シンガポール首相、カンボジアのフン・セン首相、マハティール・モハマド元マレーシア首相、江沢民元中国国家主席、ミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領など、海外の指導者らと交流を行った。27年間勤めた現代グループを離れた後、政界に進出することを決めた。 29歳で取締役、36歳で社長、47歳で会長に就任して現代建設を韓国では有数の会社に押し上げた経歴から、「現代の韓国を創った50人」に選ばれるなど立身出世した経済人として政界入り前から著名である。極貧の出身で、高校時代から5時間以上は眠らず、1日18時間働くと言われるほどの猛烈人生は既に何度もドラマ化された他(「野望の歳月」(1990年、KBS)、「火の鳥」(2004年、MBC))、現代建設を退職し政界入りする際に出版した自叙伝「強者は迂回しない」(日本語訳は2008年10月に「李明博自伝」として新潮文庫より刊行)は95年の出版以来、韓国内で200版近く版を重ねるベストセラーとなっている。
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