パロディーとスプーフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 10:02 UTC 版)
「フーダニット」の記事における「パロディーとスプーフ」の解説
犯罪小説の分野では、標準的なユーモアに加えて、パロディ、スプーフ、パスティーシュが長い伝統を持っている。パスティーシュの例としては、ジョン・ディクスン・カーが書いたシャーロック・ホームズの物語や、E・B・グリーンウッドなどが書いた数多くの類似作品が挙げられる。パロディについては、コナン・ドイルが最初の物語を発表した直後に、最初のシャーロック・ホームズのスプーフが登場している。同様に、アガサ・クリスティのパロディも数え切れないほどある。これは、オリジナルの最も顕著な特徴を誇張してあざ笑うことで、特にオリジナルに精通している読者を楽しませることを目的としている。 また、従来の構造を意図的に反転させた「反転」ミステリーもある。最も古い例としては、E・C・ベントリー(1875 - 1956)の『トレント最後の事件』(1914年)がある。優秀なアマチュア探偵であるトレントは、グズビー・マンダースンが殺害された事件を調査する。彼は多くの重要な手がかりを見つけ、いくつかの誤った手がかりを暴き、容疑者に対する揺るぎない証拠をまとめ上げる。そして、その容疑者が殺人者であるはずがなく、ほぼすべての真実を見つけたにもかかわらず、彼が導いた結論が間違っていることに気付く。そして小説の最後に、別の登場人物がトレントに、もう一人の容疑者が無実であることをずっと知っていた、なぜなら「私がマンダースンを撃ったから」と伝える。以下に示すのは、トレントの犯人に対する最後の言葉である。 '[...] I'm cured. I will never touch a crime-mystery again. The Manderson affair shall be Philip Trent's last case. His high-blown pride at length breaks under him.' Trent's smile suddenly returned. 'I could have borne everything but that last revelation of the impotence of human reason. [...] I have absolutely nothing left to say, except this: you have beaten me. I drink your health in a spirit of self-abasement. And you shall pay for the dinner.' 「[...]私は治った。もう二度と犯罪ミステリには手を出さない。マンダースン事件が フィリップ・トレントの最後の事件となるだろう。彼の高慢なプライドがついに崩れ去ったのだ」。トレントに笑顔が戻った。 「人間の理性が無力であることが最後に明らかになったが、それ以外はすべて耐えることができた。[...] これ以外、何も言うことはありません。私は自責の念に駆られながら、あなたの健康を飲みます。そして、夕食の代金はあなたが払うことになる」。 本格ミステリーとそのパロディとの境界が曖昧であることを示すもう一つの例が、米国のミステリー作家ローレンス・ブロックの小説『泥棒は図書館で推理するThe Burglar in the Library』(1997年)である。タイトルロールの泥棒はバーニイ・ローデンバーで、彼はチャンドラーの『大いなる眠り』のサイン入りの貴重な初版本を盗むために、その初版本が半世紀以上前から本棚の一角に置かれている英国風のカントリー・ハウスで週末を過ごせるように予約を入れた。しかし、彼が到着した直後、その図書館に死体が忽然と現れたため、部屋は封鎖され、ローデンバーは再び図書館に入って貴重な初版本を探し始める前に、犯人の正体を探らなければならなくなる。 『名探偵登場』は、脚本家のニール・サイモンが、「フーダニット」探偵小説における有名な探偵たちとその相棒を集結させたパロディ作品である。1976年の映画では、『マルタの鷹』のサム・スペードがサム・ダイアモンドに、エルキュール・ポアロがミロ・ペリエになるなど、様々なパロディ設定がなされている。登場人物は全員、大きなカントリー・ハウスに集められ、謎を解くためのヒントを与えられる。 トム・ストッパードの戯曲『ほんとうのハウンド警部(英語版)』は、犯罪小説を揶揄したもので、不器用な探偵が登場する。 2019年公開の映画『ナイブズ・アウト/名探偵と刃の館の秘密』は、古典的なフーダニットを物語の形式を解体し再構築することでフーダニットを現代風にアレンジし、さらに皮肉めいたユーモアのセンスを加えている。
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