パトロンと人文主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 15:46 UTC 版)
「ルネサンス期のイタリア絵画」の記事における「パトロンと人文主義」の解説
15世紀後半のフィレンツェで制作される美術品は、その多くが最終的に教会などに寄付されて装飾として使用されたとはいえ、作品の依頼主、支払主は裕福な市井の人々がほとんどだった。芸術家を支援する当時のこのようなパトロンとしてもっとも有名なのがメディチ家であり、さらに、サセッティ家、ルッチェライ家、トルナブオーニ家などのメディチ家と関係の深い一族である。 1460年代にコジモ・デ・メディチが、人文主義者、哲学者マルシリオ・フィチーノを自邸に招聘し、古代ギリシアの哲学者プラトンの著作とその学派であるプラトン哲学の翻訳に従事させた。このプラトン哲学は、人間を宇宙の中心にすえるもので、個人それぞれと神との関係性、兄弟のようなあるいは「プラトニック」な愛情の追求は、神の慈愛の模倣ないし理解に近づこうとする行為に他ならないというものだった。 それまでの中世ヨーロッパでは、古代に関連するあらゆるものが異端として受け止められていたのに対し、ルネサンスにおいては次第に啓蒙主義として受け入れられていった。ギリシア・ローマ神話の登場人物がキリスト教美術の新しい象徴、寓意の役割を担うモチーフとして認められるようになり、その中でもとくにローマ神話の女神ヴィーナスが、まったく新たな役割を与えられて美術作品に描かれるようになった。ギリシア神話の女神アフロディーテと同一視されたヴィーナスは、泡の中から完璧な肉体を持って誕生したとされている。ある意味奇跡とも呼べるこの誕生によって、ヴィーナスは旧約聖書のイヴと重ねられて純粋な愛の寓意とされ、さらには聖母マリアを象徴する女神となったのである。ヴィーナスをこれらの役割を持つ寓意として表現した、ルネサンス美術史上でも有名な作品として、1480年代にボッティチェッリがメディチ一族のロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコの依頼で描いたとされる2点のフレスコ画『プリマヴェーラ』と『ヴィーナスの誕生』がある。 一方、細部まで精密に表現された優れたデッサン力を持つ、当時でも屈指の肖像画家ドメニコ・ギルランダイオは、メディチ家と関連の深い一族に関係するフィレンツェの大きな教会施設にフレスコ壁画を描いている。サセッティ家ゆかりのサンタ・トリニタ教会 (en:Santa Trinita) サセッティ礼拝堂 (en:Sassetti Chapel) と、トルナブオーニ家ゆかりのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会トルナブオーニ礼拝堂 (en:Tornabuoni Chapel) のフレスコ画群がそれである。これらのフレスコ画には「聖フランシスコの生涯」「聖母マリアの生涯」「洗礼者ヨハネの生涯」などが含まれ、パトロンたちの肖像画もともに描かれている。サセッティ礼拝堂にはパトロンであるロレンツォ・デ・メディチ、ロレンツォの三人の子供、そして人文詩歌、哲学の家庭教師だったアンジェロ・ポリツィアーノとともに描かれたギルランダイオ自身の肖像画が残っている。トルナブオーニ礼拝堂にもポリツィアーノの肖像画があり、マルシリオ・フィチーノをはじめ、当時影響力のあったプラトン・アカデミーのメンバーも描かれている。
※この「パトロンと人文主義」の解説は、「ルネサンス期のイタリア絵画」の解説の一部です。
「パトロンと人文主義」を含む「ルネサンス期のイタリア絵画」の記事については、「ルネサンス期のイタリア絵画」の概要を参照ください。
- パトロンと人文主義のページへのリンク