パトロネジの再検討
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/29 11:36 UTC 版)
ゲルツァーは、ノビレスはパトロンとして、クリエンテスとの信義(フィデス)を通じたネットワークと、ノビレス同士のつながりによって選挙戦を勝ち抜いてきたと説明した。このパトロネジ論はロナルド・サイム(1903 - 1989)、E・バディアン、ヘルマン・シュトラスブルガー(英語版)(1909 – 1985)らによって深化され、政務官選挙においてクリエンテスをどれだけ動員できるかが重要であり、それがノビリタスの力の源泉であったとされてきた。しかしながら、そこに史料の裏付けはなく、キケロの演説からは、本人ではなく家柄が良いから投票している様子が読み取れるという。これは、マックス・ヴェーバーが言うところのカリスマ的支配にも通ずるが、ローマの場合にはノビリタスは固定化した階級ではなく、常に国家への貢献を示さなければ落選もあり得たという点で異なっている。 この貢献で最も重視されたのは軍功であり、こうした功績が人々に認められた場合、その人物は圧倒的な威光(dignitas、ディグニタス)を帯びたと見なされ、支持を集めた。投票の際には、こうした本人のディグニタスと、先祖のディグニタスの積み重ねが家柄として考慮されたと考えられる。 選挙運動からも考察されている。選挙はトリブス単位で、各地にバラバラに散らばっているトリブスからローマ市へ投票しに行く必要があり、近郊であれば日帰りも可能だが、遠隔地の場合は数日がかりの泊まりがけとなったことから、35あるトリブス票に大きな影響を与える動員力があったのかどうか疑問がある。選挙のために万単位で人が集まっていたと推測されており、共和政ローマの拡張に従って、特に同盟市戦争以降はポー川以南の全自由民にローマ市民権、つまり投票権が与えられており、クリエンテスの動員による影響力は徐々に低下していったものと考えられる。キケロの『選挙運動忘備録』でも、固定票だけでなく浮動票をいかに拾い上げるかに腐心していたことが窺えるという。 こうしたことから、ノビリタスは本人、もしくは先祖の功績(ディグニタス)によって「名が知られた」人々であり、共和政ローマの伸張に伴ってパトロネジの影響力が低下していくのと入れ替わりに、パトロンとしてよりも国家への貢献をアピールすることで支配階級に収まっていたのではないかという説がある。こうした国家への貢献を、ノブレス・オブリージュのようにみなす西洋の学者もいるという。ノビレスの実態研究はグラックス兄弟の従来像の批判からも行われており、ゲルツァーの再検討によって、今ではノビレスといえども、常に実績を積み、競争に勝ち抜く必要があったことが重視されている。
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