ハリド・シェイク・モハメドとは? わかりやすく解説

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ハリド・シェイク・モハメド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/03 04:06 UTC 版)

ハリド・シェイク・モハメド
خالد شيخ محمد
生年 1964年3月1日、もしくは1965年4月14日
生地 クウェート
思想 イスラム原理主義
活動 世界貿易センター爆破事件ボジンカ計画アメリカ同時多発テロ事件バリ島爆弾テロ事件
所属 ムスリム同胞団アルカーイダ
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ハリド・シェイク・モハメド(英:Khalid Sheikh Mohammed、アラビア語: خالد شيخ محمدḫālid šaiḫ muḥammad1964年3月1日 - )は、クウェート生まれのイスラム原理主義活動家、テロリストアルカーイダの元幹部。

1999年からアルカーイダの対外宣伝を担当し、世界貿易センター爆破事件ボジンカ計画バリ島爆弾テロ事件などに関与、特に2001年アメリカ同時多発テロ事件を立案、実行したことで知られる。

経歴

パキスタンバローチスターン州出身の両親の元でクウェートで生まれた。

生年は1964年とされるが、1965年とする説もある。16歳でムスリム同胞団に参加、直後にパキスタンに移った。3歳年少の甥のラムジ・ユセフ(世界貿易センター爆破事件の主犯)も同じような境遇である。その後、勉学のためにアメリカに渡る。その際の幾つかの屈辱的な経験が、テロへと向わせた動機だとされる。

ノースカロライナ州の大学で機械工学の学位を取得すると、アフガニスタンに移った。同地では、兄弟たちとソビエト連邦アフガニスタン侵攻ムジャーヒディーンとして参戦した。そこで当時アフマド・シャー・マスードに近かったアブドゥル・ラスル・サイヤフと知り合う。

1987年には発展途上国の支援をするアメリカの団体の資金援助を受けて、静岡県の建設機械メーカーで研修を受けるため、3ヶ月間日本に滞在している[1][2]。アフガニスタンでのソ連との戦いの後は1992年まで電子機器の会社で働き、その後、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争にムスリム義勇兵として参加、その後、カタールの政府機関でエンジニアとして働いた。

その後、世界貿易センター爆破事件やボジンカ計画を立案。1994年からカタール合板の輸出業者としてフィリピンに渡った。またサラエボにも赴き、ボスニア・ヘルツェゴビナの市民権を得ている。CIAの捕捉を恐れてパキスタンに戻り、ボジンカ計画の発覚後はカタールに移動、イエメンマレーシアブラジルなどを工作活動で転々とし、スーダンウサーマ・ビン・ラーディンと会っていることが確認されている。

アメリカ合衆国連邦政府からカタール政府に逮捕を要請されると、アフガニスタンに逃亡した。スーダンを追放されたビン・ラーディンも移り、彼の指導下に入っていった。チェチェン共和国に入ろうとするが果たせず、カンダハールに戻りアルカーイダの幹部に迎え入れられた。対外宣伝を担当し、特にジェマ・イスラミアと密な関係を築いた。

アメリカ同時多発テロ事件

拘束後のモハメド

その後、ボジンカ計画のアメリカ国内版とも言える、国内の東西の地区で航空機を同時に爆破する計画をアルカーイダに提案、ビン・ラーディンは当初は関心を示さなかったが、1998年末にロサンゼルスなどを対象から除外した上で最終的に計画を承認した。

1999年の春から、ビン・ラーディンやアルカイダの軍事部門の指導者ムハンマド・アーティフが計画を練っていった。ビン・ラーディンは資金を提供し、作戦の実行責任者としてモハメド・アタを選出すると、モハメドは技術的な細部を担当した。

イスラエルアリエル・シャロン岩のドームの訪問を強行したことをきっかけにインティファーダが起こっていたことから、ビン・ラーディンは2000年中にテロをアメリカで起こすように急かされたという。

アメリカ同時多発テロ事件以後、FBIの指名手配となり、2003年3月、潜伏先のパキスタンのラーワルピンディーにて、CIAに支援されたパキスタン統合情報局(ISI)によって逮捕された。

2006年グァンタナモ米軍基地に移送、収監された。2001年アメリカ同時多発テロ事件の起案者とされ、2007年、これらの容疑を認めた。2008年マイケル・ヘイデンCIA長官は、モハメドに対し、ウォーターボーディングによる水責め尋問を行ったことを認めた[3]2012年グァンタナモ米軍基地の軍事法廷で他4名と共に裁判が開始されることが全米各紙で報道され、死刑求刑する予定とも報じられていたが、最終的に2019年8月30日に、死刑を求刑する裁判は2021年1月11日に開廷されると決定した[4]。2024年7月31日、米国防総省はモハメドら被告3人と司法取引が成立したと発表した。罪を認める代わりに死刑を免れ、終身刑になる見通し[5][6]。8月2日、ロイド・オースティン国防長官はこの司法取引を破棄すると発表[7]

その他

  • アラビア語の発音の転写の違いによって、カリド・シィク・ムハンマド、カリド・シーク・ムハンマド、カリッド・シェイク・ムハメッドなどと表記されることもある。アラビア語表記を正確に転写すれば、ハーリド・シャイフ・ムハンマドと表記される。

脚注

  1. ^ “アルカイダナンバー3、結成前の87年に来日 米団体資金で研修”. 朝日新聞: pp. 34ページ. (2003年6月16日) 
  2. ^ アルカイダのメンバーが4回入国 新潟市内に潜伏”. 朝日新聞 (2004年5月19日). 2015年7月1日閲覧。
  3. ^ AFP (2008年2月6日). “CIA長官、アルカイダ容疑者への「水責め」認める”. フランス通信社. http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2346882/2603472 2011年3月11日閲覧。 
  4. ^ Rosenberg, Carol (2019年8月30日). “Trial Date for Men Charged With Plotting Sept. 11 Attacks Is Set for 2021” (英語). The New York Times. ISSN 0362-4331. https://www.nytimes.com/2019/08/30/us/politics/sept-11-trial-guantanamo-bay.html 2019年8月30日閲覧。 
  5. ^ Reteurs/AFP (2024年8月1日). “Man accused of plotting the 9/11 attacks, Khalid Sheikh Mohammed, reaches plea deal” (英語). abc.net au. https://www.abc.net.au/news/2024-08-01/man-accused-of-9-11-attacks-and-accomplices-to-plead-guilty/104168276 2024年8月1日閲覧。 
  6. ^ “アメリカ同時テロ、首謀者ら3人を司法取引で終身刑へ…2976人殺害の罪認める可能性”. 読売新聞. (2024年8月1日). https://www.yomiuri.co.jp/world/20240802-OYT1T50064/ 2024年8月2日閲覧。 
  7. ^ “米同時多発テロ主犯格ら3人との司法取引を破棄 国防長官が発表”. 毎日新聞. (2024年8月3日). https://mainichi.jp/articles/20240803/k00/00m/030/138000c 2024年8月3日閲覧。 

関連項目


ハリド・シェイク・モハメド

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アメリカ同時多発テロ事件」の記事における「ハリド・シェイク・モハメド」の解説

詳細は「ハリド・シェイク・モハメド」を参照 アルジャジーラ記者ヨスリ・フォウダ(英語版)の報告によればアルカイダ幹部のハリド・シェイク・モハメドは2002年4月に、自らが同時多発テロ計画したことを認めたモハメド逮捕された後の2007年にも犯行自供したアメリカ議会調査委員会による同時多発テロ事件最終報告書は、モハメド911テロ主たる企画者として紹介しており、彼のアメリカ対す敵意は「イスラエル好意的なアメリカの外交政策との著し意見不一致」に起因する結論づけた。モハメド1993年世界貿易センター爆破事件にも関与しており、主犯ラムジ・ユセフ叔父でもあった。モハメド2003年3月1日パキスタンラーワルピンディー逮捕された。逮捕後、モハメド複数CIA秘密軍事施設グアンタナモ湾収容キャンプ拘留され尋問中にウォーターボーディングを含む拷問受けた2007年3月グアンタナモ湾行われた聴聞会において、モハメドは自らには「9月11日作戦について初めから終わりまで全ての責任があった」と証言した上で、この証言強要の下でなされたものではないと述べた

※この「ハリド・シェイク・モハメド」の解説は、「アメリカ同時多発テロ事件」の解説の一部です。
「ハリド・シェイク・モハメド」を含む「アメリカ同時多発テロ事件」の記事については、「アメリカ同時多発テロ事件」の概要を参照ください。

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